戦後3番目、69日の超短命内閣だった宇野宗佑の“器用貧乏”な素顔



「文人政治家」だった素顔

なるほど、こちらが何を聞いても“立て板に水”の返事で、政治以外の話でも何でもござれ、噂通りの「文人政治家」であることを知らされた。

また、インタビュー時に筆者が集めた資料では、かなりの「趣味人」ということであった。

例えば、宇野はシベリア抑留時の体験を描いた『ダモイ・トウキョウ』、『中仙道守山宿』、自作句集など十指に余る著作がある“作家”であった。

一方でピアノやハーモニカは玄人はだし、外相時代、外国賓客に自らハーモニカを吹いてのサービスは好評であった。

さらに、絵画や書もたしなみ、カラオケもなかなかの評判、麻雀もやれば社交ダンスも巧み、剣道は正真正銘の五段の腕前。

人形の収集もじつに2万5000体、自ら器用に地元・滋賀(近江)の郷土人形を制作するなど、大正生まれにしてはまれな「マルチ人間」にして、なんとも器用な人物ということであった。

しかし、その“器用さ”が元芸者Aさんとのスキャンダルにつながり、自らの首を絞める結果になったとも言えた。

Aさんの告発記事は、宇野に「これでどうだ」と3本指を示されたというもので、月に30万円のお手当てで“交際”を迫られたことを意味する。

スキャンダルは一気に、いまで言う“炎上”状態となり、「月30万はケチ」などの声も上がり、政界絡みの話題を独占した感があったのである。