戦後3番目、69日の超短命内閣だった宇野宗佑の“器用貧乏”な素顔

“逆風3点セット”で就任早々ピンチ

さて、竹下の後継となった宇野は時に当選10回のベテランで、竹下内閣での外相以外にも防衛庁長官、科学技術庁長官、自民党幹事長代理などを歴任し、とりわけ弁舌の巧みさには定評があり、演説の名人としても聞こえていた。

言うなら、自民党内では“世渡り”もなかなかの、口八丁手八丁の強者として定着していたのだった。

ところが、である。

宇野は首相に就任直後、週刊誌に東京の花街・神楽坂の元芸者Aさんとの「女性問題」をスッパ抜かれ、これが尾を引くなか、折からのリクルート、消費税、農産物自由化の“逆風3点セット”が加わり、首相就任から1カ月後の参院選で大敗を喫した。

ために、慌ただしくも女性問題と選挙敗北の責任を取らされる形で、首相就任からわずか69日、この時点で戦後3番目となる超短命内閣に終わったのだった。

ちなみに、宇野はすでに「首相とゲイシャ」が海外にも伝えられていたことから、参院選前にフランスで開催されたサミットに出席したものの、現地の新聞が「日本の首相」にページを割くことはほとんどなかったのである。

そんな宇野に筆者がインタビューしたのは、宇野が竹下内閣で外相に就任する前、中曽根政権下で自民党幹事長代理を務めていた時期だった。