「稲垣吾郎君はクラスメイトなのに話しちゃダメって…」学園祭クイーン・緒方かな子のアイドル時代と結婚後の現在

緒方かな子 (C)週刊実話Web
1990年代の学園祭クイーンと言えば、中條(緒方)かな子の名前が浮かぶ人も多いだろう。当時事務所の先輩だった千堂あきほと並ぶ人気で、日本全国を飛び回った。
デビュー当時、アイドルグループのメンバーだった彼女は、グラビアアイドルを経て23歳でのちの広島東洋カープ監督・緒方孝市夫人に。子育てなどもあり芸能活動を抑えめにしていた彼女に、近況を聞いた。(全2回中の2回)

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「SMAPやTOKIOはまだ売り出し中という感じでした」

――ご長女は声優として芸能界へ。ご長男も芸能界やスポーツ界に興味を?
緒方「それはないかな。まず、目立つことが苦手なおとなしい性格なので芸能界には関心がなさそうです。スポーツに関してはサッカーをしていたのですが、カープの優勝に影響されて4年間だけ野球をやったんです。
急に野球を始めたときは、敵チームの選手や保護者の方が興味津々で見に来るんですけど、『普通だね』って。そりゃそうですよね。
それでも夫に『せっかくだから打ち方を教えてあげたら』とお願いしたら、『じゃあ手を見せてみろ』って。つるんとして綺麗な手を見て『こんなんで教えられるか。豆がつぶれるまでやってから来い』みたいな(笑)。中学3年間だけ野球をやり、そのあとまたサッカーに戻っています」

――緒方さん自身は『桜っ子クラブさくら組』(テレビ朝日系)の出身とされていますが、他のメンバーとはちょっと違っていたそうですね?
緒方「元はと言えば『アイドル共和国』(テレビ朝日系)という前身の番組があったんです。司会は森脇健児さんと光GENJIの内海光司さん。私はそこに出ていて、SMAPやTOKIOはまだ売り出し中という感じでした。
後に続く『桜っ子クラブ』でさくら組が結成されたので、私は新しいメンバーの子たちとはなぜか楽屋が別だったんです。なので、仲は悪くないけれど、挨拶をする程度でした。
SMAPの稲垣吾郎君とかはクラスメイト(堀越学園)なのに、噂が立っては困るから話しちゃダメって釘を刺されていましたね。学校では普通に喋ってるのに…」