「金田監督と江夏豊の確執は特に深刻だった」0.5ゲーム差で優勝を逃した1973年の阪神“ベンチ裏”事件簿

阪神甲子園球場 (C)週刊実話Web
【阪神球団創設90周年ベンチ裏事件簿】第四弾
阪神球団創設90周年。プロ野球界で長らく巨人と人気を二分してきた“西の雄”だ。その阪神の番記者として陰に陽に取材してきたのが、元スポーツニッポンの吉見健明氏。トップ屋記者として活躍した同氏が、知られざる阪神ベンチ裏事件簿の“取材メモ”を初公開する。

1973年のペナントレースが終わり、チーム内の空気は最悪だった

お家騒動がニュースになるのも阪神が人気球団ゆえの運命だが、あのときほどチーム内がバラバラだった時代はないだろう。

最終戦で巨人に敗れ、わずか0.5ゲーム差で優勝を逃した1973年のペナントレースが終わり、チーム内の空気は最悪だった。

特に深刻だったのが金田正泰監督とエース・江夏豊の確執だ。

敗れたとはいえ、優勝争いをした金田の監督続投が早々に決まり、両者の関係修復は急務だった――。

翌’74年、高知・安芸でのキャンプはもちろんオープン戦が始まってからも金田と江夏の会話は一切なく、マスコミは固唾を飲んで2人の動向を見守っていた。

甲子園での練習中、ベンチで記者と談笑していた金田の前を江夏が小走りで通り過ぎただけで、翌日のスポーツ紙の1面は『世紀の一瞬! 監督と1メートル接近』の見出しが躍るほど異様な状態が続いていた。

そんなある日、以前から江夏と親しかった日刊スポーツのI記者が練習を終えた江夏にコメントを取ろうとしていたので、近くにいた筆者も後に続いた。

ベンチ横にある水道で水を飲んでいた江夏に、I記者が「なんで監督と話し合わないのか?」と声を掛けた。

次の瞬間、振り返った江夏は口に含んだ水をI記者の顔に向かって一気にぶちまけ、ひと言もしゃべらず行ってしまったのだ。

幸い筆者とは距離があったので水はかからなかったが、記者をナメた態度は度を越していた。

「あれはやりすぎだ! 許せない」と残されたI記者に向かって怒りをぶちまけたが、I記者は怒るどころか江夏をかばってみせた。

「今はこんな状況だし、江夏をこれ以上、悪者にしたくない。アイツも単なる悪ふざけのつもりだよ。俺はなんとも思ってないから記事にしないでほしい」

それでなくとも江夏はチーム内で浮きまくっており、これ以上、孤立するようなことがあればチームが空中分解しかねず、それは担当記者としても望むことではなかった。

I記者の言葉を受け入れて先の出来事を記事にしない約束をした。

もっとも、このシーズンに限っていえば、江夏だけに責任があったとは思わない。

金田監督に選手からの人望がなかったのも事実で、選手から殴られる事件が2度も起きているほどだ。