「金田監督と江夏豊の確執は特に深刻だった」0.5ゲーム差で優勝を逃した1973年の阪神“ベンチ裏”事件簿

2つの殴打事件には江夏も関わっていた

1人は投手の鈴木皖武で、練習中に「おまえ、横にボールがあったのに、なんで拾わんのじゃ」と記者たちの前で怒鳴りつけられるという伏線があった。

その後の遠征中に門限を破って深夜に宿舎に帰ってきたところを金田に見つかって叱責された。

もともと血の気が多かった鈴木は金田を殴りつけてしまい、1カ月の謹慎処分となった。

もう1人は細身のベテラン投手・権藤正利で、普段は大人しい性格で知られていたが、こちらもシーズン中に金田から「サル」呼ばわりされたことなどで不満を抱えていた。

その年のシーズンオフに甲子園で行われたファン感謝デーの日、権藤はロッカールームで休憩していた監督の金田に謝罪を求めたが、売り言葉に買い言葉で激昂した権藤が金田を殴打。この事件をきっかけに引退することになってしまった。

実は、この2つの監督殴打事件には江夏も間接的に関わっていた。

鈴木のケースでは、「俺はもう辞める」と妻に電話する鈴木を見かけた江夏が声を掛け、話し合いをさせるために鈴木を連れて金田の監督室に行き、2人だけで話ができるようセッティングしていたのだ。

権藤の場合も状況は似ていた。

シーズン中に「もう我慢できない」と金田への不満を相談された江夏は、「手助けします」と宣言。イベントでの話し合いをセッティングしたのだ。

江夏は派閥で群れる男ではなかったが、違うと思ったことはハッキリと口にする男気があった。

どの球団でも多少の確執はあるものだが、阪神は監督やスター選手の周りに常に記者が張り付いており、ちょっとしたことでも大きなニュースになるため、話がこじれた側面もある。

特に、この頃の阪神では監督やスター選手の担当記者が書く記事を通じて互いの悪口を伝えて対立を煽るような悪しき伝統があった。

筆者もスポニチの先輩記者・T部長から「親友だからといって田淵専門記者にはなるなよ」と口を酸っぱくして言われたが、それだけよくあることだったのだ。