「金田監督と江夏豊の確執は特に深刻だった」0.5ゲーム差で優勝を逃した1973年の阪神“ベンチ裏”事件簿

選手と記者の距離感の近さが弊害に

江夏はこうした人間関係を敏感に見抜くことにも長けており、法政大学野球部時代からの関係を知ったうえで筆者のことを「田淵の金魚のフン」と呼び、広島カープへ移籍後も「(山本)浩二がいるだろ」と一定の距離を取り続けたほどだ。

それでもスポーツ紙の記者は記事を書くために毎日チームに張り付き、首脳陣や選手たちの信頼を得ることに苦心していた。

例えば、村山実監督時代に自宅へ行くと、いつもエプロン姿のNスポーツのM記者がいた。

それだけ監督に密着していたわけで、これは記者の努力の範疇だろう。

しかし、取材対象との距離が近くなりすぎると、時に癒着といわれても仕方ないような関係になってしまう弊害もあった。

本来ならマスコミに漏れるはずのない鈴木の監督殴打事件が記事になったのも、金田が親しいS紙のAデスクにリークしたためで、Aデスクは記事のお礼に車を買ってもらったとも聞いた。

江夏が「チーム内の話をわざわざ外に漏らしやがって」と、金田への不信感を募らせたのも当然だった。

阪神でのこうした苦い人間関係が、後の江夏に暗い影を落とすことになったのかもしれない。

【一部敬称略】

「週刊実話」5月8・15日号より

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吉見健明

1946年生まれ。スポーツニッポン新聞社大阪本社報道部(プロ野球担当&副部長)を経てフリーに。法政一高で田淵幸一と正捕手を争い、法大野球部では田淵、山本浩二らと苦楽を共にした。スポニチ時代は“南海・野村監督解任”などスクープを連発した名物記者。『参謀』(森繁和著、講談社)プロデュース。著書多数。