江夏豊「八百長襲撃計画」(1973年)の真相 阪神番記者だけが知っている田淵幸一の激怒

星野仙一「阪神打線はコチコチでワシの緩い球も打てんかった」

この年の先発陣の柱は江夏と上田二朗の2人。江夏は24勝13敗で最多勝を獲得し、8月には史上唯一の延長戦ノーヒットノーランを自分のサヨナラ本塁打で決めるという偉業も達成していた。

一方の上田も22勝14敗のキャリアハイで、いずれも防御率は2点台だ。

ただし中日戦に限れば3勝2敗の江夏に対して上田は8勝1敗とカモにしていた。

加えて試合前日、江夏はマスコミの依頼で大阪球場に南海ホークス対阪急ブレーブスのプレーオフ視察に訪れていた。

大一番を前に大半のマスコミは、中日キラーの上田が先発だろうとみていた。

そして迎えた中日戦。先発は江夏だった。

実は、金田は3日前の段階で江夏の先発を決めており、上田には柿本実投手コーチを通じて巨人戦の先発が伝えられていた。筆者は上田から直接この話を聞いている。

もっとも、上田の先発を予想していた周囲は大いに困惑したはずで、それは選手たちも同様だった。

試合は1点差リードを許したまま7回で江夏が降板させられ、追加点を取られた阪神は2―4で敗れた。

この試合に先発した中日・星野仙一は筆者にこう打ち明けている。

「ウチは消化試合だし、正直、阪神を勝たせたい気持ちで投げとったが、阪神打線はコチコチでワシの緩い球も打てんかった」

ほとんど八百長のような告白だが、巨人のV9を阻止したい気持ちや親友・田淵との友情もあり、これは本音だろう。

それでも阪神は勝てなかったのだ。

雨で1日流れた後に行われた巨人戦はあっけなかった。

先発した上田は2回ももたずKOされ、阪神は0―9と大敗。巨人の逆転優勝が決まってしまう。

甲子園球場では暴徒化したファンが大挙してグラウンドに乱入し、巨人ベンチの王貞治まで襲撃されるという大騒動となった。

ファン以上に荒れていたのが優勝を逃した選手たちだ。ここからは筆者しか知らない話となる。この夜、筆者は田淵から1本の電話を受けた。

「記者バッジを外してマンションまで来てくれ!」

急いで田淵の自宅マンションに駆けつけると古沢憲司ら数人の田淵派選手たちが荒れ狂ったように酒を飲んでいた。