竹下登が“忍従の人”と言われるワケ 母からの教え「他人さまに対して、絶対に怒ってはなりません」

佐藤派で知恵者ぶりを発揮

総選挙の結果は、自民党公認を得ての初出馬で、トップ当選を飾ってみせた。

時に竹下34歳、当選後は、のちに首相となる佐藤栄作が率いる佐藤派に入った。

この竹下と後年に確執を繰り返すことになる田中角栄は、すでに郵政相として初入閣を果たし、佐藤派のなかでメキメキと頭角を現し始めていた。

初めて当選のあいさつに赴いた竹下に、佐藤はこう言ったという。

「君、これからは毎朝、私の自宅に顔を出すことだな。そうすれば、いろいろな人と知り合うことができる。また、将来を期そうとするなら、地方議員を育てていくことが大事だ。必ず、役に立つ日が来る。そのうえで、次のことを忘れないように。
まず、何事でも人の話を聞くこと。人間の口は一つ、耳は二つだ。自分で主張する前に人の話を聞いてみる。これが、人間関係をうまくするコツということになる」

竹下は「忍従の人」だが、やはり只者ではなかった。

佐藤の言葉を守る一方で、どんな難問でも当初から狙っていた“落としどころ”で、必ず決着してみせた。とんでもない知恵者だったのである。

(本文中敬称略/この項つづく)

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「週刊実話」5月1日号より

小林吉弥(こばやし・きちや)

政治評論家。早稲田大学卒。半世紀を超える永田町取材歴を通じて、抜群の確度を誇る政局・選挙分析に定評がある。最近刊に『田中角栄名言集』(幻冬舎)、『戦後総理36人の採点表』(ビジネス社)などがある。