竹下登は「気配りで天下を取った唯一の男」田中角栄と双璧をなす“座持ちのうまさ”を元関係者たちが証言

野党議員に“小遣い”が入るように…

その後、中央政界入りしても麻雀とは縁が切れず、その実力は『国会議員中ナンバー1』といわれていた。

とくに国会対策副委員長の頃は、野党相手の“接待麻雀”にも打ち込んでいたとされる。

先の元田中派幹部は、こう続けたものであった。

「“接待麻雀”の鉄則は自分が勝ってはいけないということで、適当に遊び、最後には相手の野党議員のポケットに相当の“小遣い”が入るようにしなければいけない。しかし、実際には腕が相当に立たなければできない芸当で、竹下はこれで野党から情報を取り、政局がこじれたときの野党工作などで点数を上げていった」

竹下におけるとてつもない気配りの前提にあったのは、我慢、辛抱に徹した生き方ということであった。

昭和46年(1971年)7月、第3次佐藤(栄作)改造内閣で官房長官として初入閣した際に、竹下自らこう“白状”したことがある。

「自分で言うのも変だが、私はこれまで一度も人を怒ったことがなかった。怒りをこらえるのは自分に勝つということだが、これはじつはなかなか、つらいことでもある」

そうした竹下のいわゆる「辛抱哲学」は、読者諸賢に役立つものも多いと思われる。

(本文中敬称略/この項つづく)

「週刊実話」4月24日号より

小林吉弥(こばやし・きちや)

政治評論家。早稲田大学卒。半世紀を超える永田町取材歴を通じて、抜群の確度を誇る政局・選挙分析に定評がある。最近刊に『田中角栄名言集』(幻冬舎)、『戦後総理36人の採点表』(ビジネス社)などがある。