竹下登は「気配りで天下を取った唯一の男」田中角栄と双璧をなす“座持ちのうまさ”を元関係者たちが証言

竹下登は天性の“老人キラー”

「夫は、私に対する気配りも普通ではありませんでした。夜中にトイレに立つときでも、わざわざ階下のトイレまで降りていく。水洗の水音で、私が目を覚まさないようにとの気遣いなんです」(妻・直子)

「竹下の赤坂など料亭街での評判は、すこぶるよかった。洋服、ネクタイが崩れて座敷から出てきたのは、一度も見たことがない。首相になる前の中曽根康弘は、しょっちゅう芸者や仲居を叱り飛ばして評判イマイチだったが、竹下の周囲への気配りと座持ちのうまさは、田中角栄と双璧だった。加えて、必ず相応のチップを置いてくる。これも芸者や仲居から板場、玄関番の人、待たせてあるハイヤーの運転手まで抜かりがない。こうしたことをやるのは国会議員多しといえども、私の知る限り田中と安倍晋太郎(故・安倍晋三の父)、それに竹下の3人だけだった」(元竹下番記者)

「まだ中堅だった頃の竹下は、内閣官房副長官、6期5年に及んだ国会対策委員長といった下働きポストで、徹底的に野党のもとに足を運んでいた。一方で、少しでも時間に余裕があれば決してそれを無駄にせず、議員会館の“一丁上がり”の長老議員のところによく顔を出したりもしていた。こうした長老議員のご高説、愚痴話に『ほう、ほう』などと相づちを打ちながら、天性の“老人キラー”ぶりを発揮しつつ、人脈の輪を広げていた。長老議員のところには、なかなか人が寄ってこないから、本人は嬉しい。ある日、自民党の実力者に『竹下君、あれはなかなかいいぞ。勉強もしておる。機会があったら、どこかで使ってみると面白いぞ』と話す。これが“竹下流”人心収攬術の一つで、竹下を嫌った田中にもできない芸当と言えた」(元田中派幹部)

ちなみに、竹下は早稲田の学生時代から麻雀を打ち出し、島根県議の頃はあまり熱心なことから「麻雀狂いの不良議員」などと、地元紙に書かれたこともあった。

どうやら議員仲間や県職員などと卓を囲むことで、“議会対策”をやっていたともっぱらだった。