2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』主人公・秀長から学ぶ“ナンバー2”としての人生流儀

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“終活”に学ぶ人生流儀 加来耕三が語る偉人たちの覚悟(3)
テレビ、ラジオでもおなじみの歴史家で作家の加来耕三氏が、新刊『日本史 至極の終活』(日本ジャーナル出版)を刊行した。本書では偉人たちの最期を〈大往生〉〈悲壮〉〈意外〉〈悔恨〉〈応報〉という5つのテーマに分け、波乱に満ちた彼らの生涯と晩節、そして臨終について詳説している。

偉人たちは、どのような心持ちで死を迎えたのか。また、歴史学の観点から見て、現代に生きるわれわれが学ぶべきポイントは何なのか。加来氏に話を聞いた。(全3回の3回目)

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大河ドラマ『豊臣兄弟!』豊臣秀長の人物像

2026年のNHK大河ドラマは『豊臣兄弟!』ですが、豊臣秀吉と秀長は考え方がよく似ています。兄の秀吉を弟の秀長は一生懸命に支えてきた。秀長のことを好きな人たちは、補佐役としての生き方に惹かれて、彼を支持しているわけですが、その限りにおいて秀長は、最高の人物だと思います。

しかし、自分がいなくなったらどうなるか、ということを、秀長は考えていませんでした。あくまでも秀吉を助ける立場、あくまでもナンバー2の立場です。もし自分がいなくなったときに、秀吉という人間を、誰がどう補佐するのか、そういうことをまったく考えていなかった。

秀長は大和大納言に栄進して、石高的にも兵力的にも充分、徳川家康に対抗できた。豊臣政権にとって、家康が最も危険な存在です。

ところが、秀長は次代の工夫を何もしないまま、病気が悪化して寝込み、ほぼ1年で亡くなってしまった。

血縁関係から、自分の後継者をもらってきたのですが、結局、何も教育を施していませんでした。それどころか、この養子は10代から酒を飲んでいるような有り様で、一説には殺されたという説があるほどです。

ですから、補佐役として尽くしたことは尊いですけど、先々のことまでは考えていない。目先のことばかり考えてきたところが、豊臣兄弟はじつによく似ています。

本当は思考を変えて、未来へのビジョンを明確にしなければいけなかった。それができなかったことが、豊臣政権が短命に終わった最大の原因だと思いますね。

一方で、人生全体を見渡していたのに、惜しくも亡くなってしまったのが、武田信玄の弟の信繁です。上杉謙信との第四次川中島の戦いは、今なお諸説ありますが、領土的には信玄が獲得しています。しかし、この戦いで信繁を失ったことは、あまりにも大きな損失でした。

信繁が生きていたら、信玄と長男・義信の確執は起こらず、なんとか中和できたでしょう。ましてや長男を殺して、四男の勝頼に家督を継がせるなど、しなくて済んだはずなのです。

信繁は武田家にとって、かけがいのないナンバー2でした。彼は兄に成り代わり、敵の上杉軍を一手に引き受けて、「俺が信玄だ」と叫んで死んだ。本当に残念です。

補佐役に徹することだけなら、秀長でも信繁でも大差はありません。しかし、人生全体を見ていたかどうかという点には、それぞれの立場、教養の違いが出てくる。もともと秀長は農民出身でしたから、そこまで考えが深くない。竹中半兵衛とか黒田官兵衛が、家庭教師のように指南したかもしれませんが、先々のことまでは教えていなかった。