喪服姿で国会に初登院!?「風見鶏」とやゆされた中曽根康弘の“遊泳パフォーマンス”



党幹部からは「青年将校」と恐れられ

昭和22(1947)年4月の衆院総選挙に初出馬するため、当時の高崎を中心とした〈群馬3区〉を自転車で走り回ったが、こんな具合だったとされている。

「内務省の退職金で買った自転車をペンキで白く塗り、『日本をアカの手から守ろう』と訴えて回った。青年団に働きかけて青雲塾なるものを結成し、『日本の再建を目指そう。青年よ、立て!』と口角泡を飛ばすなど、まさに“反共”一本槍、口の滑らかさは大変なものだったようだ」(同)

この総選挙で中曽根は、民主党(当時)候補としてトップ当選を飾った。

さて、晴れがましい初当選と、その国会初登院の日にも、中曽根はパフォーマンス全開であった。

なんと、黒の背広に黒のネクタイという喪服姿で現れ、同僚議員、新聞記者らの度肝を抜いたのである。

「祖国が占領されているという悲しい現実を、私は国民の一人として喪に服し、胆に銘じた」

中曽根のセリフである。

その後、所属する民主党の総裁争いではドタ靴で首相官邸に乗り込み、「芦田均を総裁にすべき!」とブチ上げ、恐れをなした同党幹部から「青年将校」の名を頂戴することになる。

首相の座を目指した中曽根の「政界遊弋史」は、これでもまだ始まったばかりで、さらにエスカレートしていく。

政局の風向きを見て、いよいよ「風見鶏」が激しく動き出すのだった。

(本文中敬称略/この項つづく)

「週刊実話」4月3日号より

小林吉弥(こばやし・きちや)

政治評論家。早稲田大学卒。半世紀を超える永田町取材歴を通じて、抜群の確度を誇る政局・選挙分析に定評がある。最近刊に『田中角栄名言集』(幻冬舎)、『戦後総理36人の採点表』(ビジネス社)などがある。