鈴木善幸が“状況判断”の材料にしていたのは…自宅に殺到する記者陣に「ジョニ赤」を飲ませて逆取材!?



記者たちはウイスキーの“お替り”を催促

夜回りの記者には、いつもウイスキーの『ジョニ赤』が振る舞われており、グラスが空になった記者はカラカラと氷の音をさせて、次を注ぐよう“催促”していた。

このやり取りから命名されたのである。

「確かに総務会長時代は、他のどんな自民党幹部の方よりも記者が集まっていたようです。主人は取材を断らないし、家への出入りはご自由でしたから、多いときはソファに座りきれない方が、床の絨毯の上にいるといった具合でした。ところが、主人からは記事になるような話がまず出ませんでした。もとより、ミスリードもなかったと言いますね。主人は『ジョニ赤』をなめながら、記者にたっぷりと話をさせ、その間、黙ってジッと聞いているだけでした。政局が難しいときには、こうしてあちこちの記者から情報を逆取材し、状況判断の材料にしていたともっぱらでした」

昭和53(1978)年7月、それまでの農林省は農林水産省と看板を替えた。

農業、林業に「水産」が肩を並べたことで、改めて日本の漁業の重要性が評価されたのである。

これはひとえに「暗愚の宰相」とまで呼ばれた鈴木善幸が、終始、汗をかき続けた結果の改称でもあった。

(本文中敬称略/完=次回は中曽根康弘)

「週刊実話」3月27日号より

小林吉弥(こばやし・きちや)

政治評論家。早稲田大学卒。半世紀を超える永田町取材歴を通じて、抜群の確度を誇る政局・選挙分析に定評がある。最近刊に『田中角栄名言集』(幻冬舎)、『戦後総理36人の採点表』(ビジネス社)などがある。