“暗愚の宰相”鈴木善幸が魅せた人道主義「力量に欠ける」就任会見で驚きの発言も



“増税なき財政再建”に政治生命をかける

「もとより、私は総裁としての力量に欠けることは、十分に自覚しております」

トップリーダーとしての「資質」に乏しいことを自ら明らかにした、なんとも異例の総裁就任の挨拶だったのである。

そのうえで、政権は「和の政治」をスローガンに掲げ、公約の“増税なき財政再建”を実行可能ならしめるための「行政改革」を最大の課題とした。

鈴木はそれに「政治生命をかける」とまで言い切っていた。

しかし、政権運営は惨憺たるものであった。

内政において、例えば昭和56年度予算は大蔵省のペースに抵抗できず、結果として増税を是認せざるを得なかった。

さらには「政治生命をかける」と断言した「行政改革」も、鈴木自身の決断力不足から方向性を示すだけにとどまり、根本部分に具体的なメスを入れることはできなかった。

一方、外交は農林大臣として通商に携わった経験があったものの、本来の外交とは無縁だったことで馬脚をあらわしてしまった。

米国のレーガン大統領との首脳会談に臨んだ際、共同声明の解釈をめぐりトラブルが巻き起こり、時の鈴木派から出ていた伊東正義外務大臣が辞任に追い込まれたこともあった。

かくして、政権実績が上がらぬなかでの2年余、その末期に至ると最大の「後見人」でもあった田中から、ついに“最後通牒”を突きつけられた。

田中は成果を出せぬ鈴木に、こう言ったという。

「いつまでも芝居の幕を開けないと、客は帰ってしまうぞ」

国民から“見放されてしまう”との謂いである。

この田中の言葉をもって、鈴木政権はジリ貧のなかでの退陣を余儀なくされた。

昭和57(1982)年10月12日、腹をくくった鈴木はいつもの慎重な物言いから一変、大見得を切ったかのように、「大死一番、決断した」として退陣を表明したのである。