13歳にしてスタンドデビュー! 生まれながらの応援家にして野球応援の革命を起こした男がその魅力を吐露

ジントシオ氏(C)週刊実話Web
突き抜けた男たちの魂の叫びをお届けする連載企画「死ぬ前までにやっておくべきこと」。今回は、野球応援の革命家とも呼ばれたジントシオ氏にインタビュー。その魅力と波乱に富んだ“応援人生”を語ってもらった。

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これは約30年もの間、プロ野球応援団というものに人生を懸けた男の物語である。

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わずか13歳にして外野スタンドデビューを果たした神童と呼ばれし少年が、やがてカリスマになり、組織というものに翻弄され、すべてを諦めるまでの激動の実話をここに残す。

「気がついたときにはトランペットを吹いていました。親戚が持っていたのをもらったんでしょうね。小学校4年生の頃には学校のクラブ活動でも吹いていて、昔から目立つことが好きだったようです。人と違うことをして遊んでいるような子供でしたから」

2024年12月。バンテリンドームナゴヤで開催された『THE LAST GAME』の終了後、久しぶりに客前に立っての大役を果たし終えた男が古い物語を回想し始める。

ジントシオ。プロ野球史上、数多の名物応援団長はあれど、彼ほどの名声と信奉者を集めた人物は数えるほどだろう。

そのキャリアは13歳の頃に日本ハムファイターズから始まり、千葉ロッテマリーンズ、そして東北楽天ゴールデンイーグルスと複数の球団を渡り歩き、JリーグFC東京にもトランペットで参加。

彼が持つのはトランペットの才能だけではない。

大衆を扇動するアジテーション能力、既存の楽曲を応援歌に編曲するセンス、そして作曲能力は、生まれながらの応援家ともいうべき才覚を1990年代~2010年代のプロ野球史に飾った。

しかし彼は2021年の楽天応援プロデューサー退任を最後に球界から姿を消した。

その後は神出鬼没にアマチュア野球や独立リーグなどのスタンドへ現れるが、実質的にプロ野球の応援は引退している状態だとか。

彼の30年にわたる波乱に富んだ応援人生のあらましを、今回、初めて振り返ってもらった。