13歳にしてスタンドデビュー! 生まれながらの応援家にして野球応援の革命を起こした男がその魅力を吐露



14歳で小笠原道大の応援歌を作曲

ジントシオ氏(C)週刊実話Web
「生まれは東京の小平です。松坂世代の1980年生まれ。小学生の頃に西武球場に連れて行ってもらって野球応援に興味を持ち始めました。でも最初に所属したのは日本ハム。13歳。大沢親分のときでした。20時に帰るという条件で、親父も『トシオの好きなことをやればいい』って応援してくれていたんです。東京ドームのスタンドはめちゃくちゃ刺激的な世界で、中学生にして大人の世界を見ていたから、学校の友達が幼稚に見えていたのかもしれません。学校で不良グループが暴れているのを見ても、『ダサいことやってるな』と冷めた目で見ていましたから」

当時14歳でのちの小笠原道大の応援歌という名曲を作った天才中学生は、夢中になっていた日本ハム応援団を中学2年生で突然辞めた。

大人の世界を覗いて、少し疲れてしまっていたこともあるが、父が病気に倒れたことも大きかった。

中学3年生、1995年の5月。不良グループに誘われて、隠れてタバコを吸いに行くと運悪く先生に見つかり、家に通報された。

その晩、報せを受けた病床の父は寂しそうにジンを叱ったという。

「結局、それが入退院を繰り返していた父との自宅での最後の会話になってしまった。そのことがものすごい後悔として今も残っています。なんで俺はつるんでしまったのだろう。どうして人間は群れたがるのだろう…って」

父が亡くなった翌月、中学の体育祭で応援合戦があった。

すでにプロ野球の応援団員として多くの人間を動かす経験をしていたジンにとって、中学の体育祭など赤子の手をひねるようなものだった。

結果は圧勝。学年優勝に応援賞と総取りし、一躍学校のスターに。後日、お昼の校内放送でインタビューされると、「当然の結果です」と格の違いを見せつけた。