永田町では「哲学者」「宗教家」の声も!? “知られざるエピソード”の宝庫・大平正芳の愛嬌

大平正芳氏(首相官邸HPより)
「盟友」田中角栄の全面的な後押しを受けて、福田赳夫の総裁「再選」を阻止、総理のイスに座ったのが大平正芳であった。

大平という人物は、大言壮語など一切なし、「歩留まり」を低く設定する遠慮深さが特徴で、その愛嬌から「鈍牛宰相」の異名もあり、玄人受けする政治家であった。

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古今東西の書物を読みあさった碩学で、ある人は大平を「哲学者だ」と評し、田中角栄などは親しみを込めて「アイツは政治家じゃなくて宗教家だ」と言っていた。

そうした物言いの底流には、いずれも大平に対する敬意が含まれていた。

大平は東京商大(現・一橋大)から大蔵省(現・財務省)に入省したが、東大法学部卒ぞろいの大蔵省内では、当然ながら「傍流」であった。

しかし、生真面目、実直な人間性から、大蔵省の先輩で後年に総理大臣となる池田勇人にかわいがられ、これを足がかりとして大平自身も政界入りし、やがて総理への道を拓くことになる。

大蔵省時代には、仙台税務監督局間税部長に赴任する際、こんなエピソードを残している。

昭和13(1938)年6月、横浜税務署長だった大平は、辞令を受けて仙台へ出発した。

その日、折悪く京浜地帯は台風による豪雨と洪水に見舞われた。

当時、大平は横浜市の磯子に住んでいたが、東京-横浜間の交通は不通となった。

しかし、なんとしても東京駅から仙台駅行きの汽車に乗らねばならない。

責任感の強い大平は、歩いて東京駅へ向かう決心をした。

ところが、神奈川から東京に出るには、途中、川幅30メートルほどの六郷川を渡らねばならない。

台風の影響で、かなりの水量である。

大平はなんとパンツ一丁になり、旅行用のトランクを頭にくくりつけ、抜き手を切って川を渡った。

また、そのとき尻にバイ菌が入ったらしく、仙台に着任すると間もなく“痔”になり、入院する憂き目にも遭った。