恐妻家との指摘には「敬妻家」と切り返し! 政治記者も舌を巻いた福田赳夫の“機転”と“圧倒的な秀才ぶり”



幹事長時代には人を撒いて昼寝

その福田には、かつて評論家として一世を風靡した大宅壮一が、悪乗りで提唱した『日本恐妻家協会』から、会長就任を要請されたというエピソードがある。

なぜなら、福田の妻・三枝は逆境を難なく乗り越える“肝っ玉おっかさん”で、典型的な「上州女」として知られていたからだ。

蒲柳の質の福田と比べて、その体躯も堂々として貫禄にあふれ、いざ選挙になるとべったり群馬3区(当時)に張りつき、夜討ちの記者が自宅に来ると酒の相手も辞さずで、巧みにあしらう“女傑”であった。

ために、福田は夫人に頭が上がらなかったことから、「恐妻家」ではないかとみられていた。

また、こうしたことから、福田には「三なし総理」の声もあったのである。

かつて「福田派」の重鎮だった渡海元三郎が、こんな証言をしてくれた。

「私が大臣として本会議場のひな壇に座っていたときのこと、松野頼三(元自民党衆院議員)さんが、そっと私に『歴代総理にはおよそコレ(と小指を立てる)がいたのに、福田だけは話を聞かんなぁ』と、ささやいてきたことがあった。福田先生は女っ気なし、閨閥なし、そのうえ昨今の政治家なら大抵が持っている別荘の一つもなし、まれに見る身辺が清潔な政治家であると言えた。身をもって“政治は最高の道徳”を実行されている稀有な人で、福田先生は自ら『わが輩は“三なし総理”だ』とニンマリしたこともある」

さて、くだんの「日本恐妻家協会」から会長就任を要請された福田は、最終的にこう言って断ったという。

「わが輩は恐妻家ではなく“敬妻家”なんだナ」

まさに「造語名人」の面目躍如でもあった。

そんな福田には幹事長時代に、人を撒いて昼寝を決め込むという“得意技”があった。

当時の担当記者の思い出話がある。

「忙しい幹事長が小一時間、突然、幹事長室から“行方不明”になることがあった。あとで耳にしたのが、首都高速道から環状線へ出て1周、その間、誰にも邪魔されずに昼寝して英気を養っていたというのです」

運転手以外には知られることがない、多忙を極める「秀才政治家」の、しばしの“休養確保策”であった。

(本文敬称略/完=次回は大平正芳)

「週刊実話」2月20日号より

小林吉弥(こばやし・きちや)

政治評論家。早稲田大学卒。半世紀を超える永田町取材歴を通じて、抜群の確度を誇る政局・選挙分析に定評がある。最近刊に『田中角栄名言集』(幻冬舎)、『戦後総理36人の採点表』(ビジネス社)などがある。