恐妻家との指摘には「敬妻家」と切り返し! 政治記者も舌を巻いた福田赳夫の“機転”と“圧倒的な秀才ぶり”



陳情は相槌を打ちながらじっくりと…

「福田は相手がどんな立場の人間であっても、何よりもじっくりと陳情に耳を傾けていた。普段は15分程度の時間を用意しているのだが、福田は『ホー、ホー』と相手の意見を聞きながら、次の客を1時間以上も待たせることが珍しくなかった。対して、田中はなるほど“分かったの角さん”で、客の話をすべて聞くことがなく、やおら自分から早口でまくし立て、最後に『分かった』の一言で半ば強引に終わらせてしまう。ために、客は生煮えのまま帰路に就くことになるが、田中は陳情内容などをしっかり把握しており、必要な手はきちんと打っていた。話半分であしらわれたと思っていた人間から、驚きと感激が入り混じったお礼の電話を受けたことが何度もある。また、何事にも粘り強く当たるのが福田の身上であったが、いざというときの大勝負には弱かった。この点では、もとより田中は逆であった」(要約)

筆者が初めて福田にインタビューしたのは、昭和54(1979)年の夏、総裁「再選」に敗北後、宿敵を退陣させるべく「大平降ろし」に動いていたさなかであった。

場所は東京都千代田区紀尾井町、旧プリンスホテルの敷地内にあった福田派の事務所である。

話の途中、福田はそれまでよく写真で見ていたように、たばこの「ショートホープ」を人差し指と中指ではさまず、人差し指と親指にはさんでしきりに吸っていた。

これが“福田流”のたばこの吸い方で、政治家としていささか貧相に見えるが、少なくとも横柄には映らないため、むしろ微笑ましく思えたものだった。

なるほど、筆者の質問に「ホー、ホー」と相槌を打ちながら、こちらの意図を分析、秀才官僚だっただけに口の堅さはさすがで、核心を少し外した当たり障りのない答えが返ってくる。

随所に頭の回転のよさを感じたものであった。