「池には高価な錦鯉がゴマンと泳いでいる」壮麗&豪華絢爛報道に隠された田中角栄邸の“錦鯉異聞”

田中角栄(首相官邸HPより)
長く田中角栄を取材するなかで、政治そのもの以外で意外な人物像に触れたことも多々あった。

久しく政治史の裏面を飾った東京・目白の田中邸での話である。

今年1月8日の失火により母屋は全焼、下駄履き姿で池の鯉にエサをやる田中の写真は多く知られたところだが、この池もすでに埋め立てられている。

当時、池は上下の2段になっており、上段には1メートル以上の大きな鯉、下段には50センチ以下の比較的小ぶりな鯉と分かれていた。

【関連】車中で裸や六本木のバーをはしご酒…田中角栄研究の第一人者が今だからこそ明かす驚きの“角栄秘話” ほか

陳情でしばしば田中邸を訪れていた地元・新潟の後援会「越山会」の幹部たちから、田中が首相の座を降りた直後、次のような証言を聞いた思い出がある。

「外国の新聞に『田中邸の池には宝石のような飛び切り高価な錦鯉がゴマンと泳いでいる』と書かれたこともあったが、あれは嘘だね。選挙区内の小千谷市、山古志村(現・長岡市)などは錦鯉の産地で、地元の人たちが土産に持っていくわけだが、ほとんどが1尾3万円から高くても20〜30万円くらいのものばかりだった。第一、何百万円もするような錦鯉を持っていったら、業者は商売にならん。多少、背骨が曲がっていたり、色が流れたりしているような、どちらかと言えば“半端”なものが多かった。

しかし、先生の記憶力には驚かされたね。一尾一尾の錦鯉の特徴がすべて頭に入っていて、『アレは小千谷の誰からの贈り物だ』などと片っ端から説明される。一度、なぜそんなに覚えられるのか聞いたら、先生いわく『まァ、美人の顔を一人一人覚えているのと同じだ』だった。上段の池は、毎月5日に水替えをやっていた。デカい鯉は小さいのを食っちゃうので、水替えのときは一時、鯉を他所に預けていた。水替えは秘書や書生がズボンをまくり上げてやるのだが、先生は例のシブい声で、逐一『おい、排水口に子鯉を流すな』などと指揮していた。

じつは、先生は鯉こくが好きなんだが、自分の池の真鯉を食べたことは一度もなかった。先生は『戦争には行ったが、自分の手で人を殺したことが一度もなかった。そのことを本当に幸せだと思っている』とよく口にされていたが、人間ではなく生き物に対しても、同じ姿勢を崩さなかったということだろう」