車中で裸や六本木のバーをはしご酒…田中角栄研究の第一人者が今だからこそ明かす驚きの“角栄秘話”

田中角栄(首相官邸HPより)
「おっ、ズラかったか」

田中角栄は政策・広報担当秘書の早坂茂三(のちに政治評論家)の個室を訪ね、ドアを開けて早坂が不在であることを見届けると、問わず語りのようにそう声を発してドアを閉めた。

時に昭和50年代半ば、田中はロッキード事件で逮捕、釈放されたが、いまだ「闇将軍」と呼ばれて絶対権力者の椅子は手放すことがなく、最強といわれた弁護団をそろえてロッキード裁判に立ち向かっていた。そんな某日の出来事である。

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当時の田中事務所は、東京・平河町の『イトーピア平河町ビル』内にあったが、田中個人の執務室に加えて「越山会の女王」と呼ばれた佐藤昭子ら数名の秘書室、そして早坂や弁護団の個室があり、それぞれがドア一つでつながっていた。

並の政治家にはとてもかなわぬ広大なスペースを貸し切っていたのである。

さて、田中がドアを開けたとき、筆者は早坂への取材でちょうどその個室にいた。

早坂が急きょ近くの歯科へ虫歯の治療に行ったため、彼の戻りを待っていたさなかであった。

それまで筆者は、田中の政治的腕力と人間としての面白さに惹かれ、あらゆる関係者からその「横顔」を取材し、東京や地元・新潟などで行った演説、スピーチの類いも100回を優に超えて聴き入っていた。

ただし、田中本人へのインタビューをしてしまうと、情が入ってなかなか「負」の部分に言及できなくなることから、直接の取材はあえて避けていた。

その田中がひょっこり顔を見せたのである。

一瞬、「いつも勝手なことを書かせていただいているコバヤシです」と、自己紹介でもしようと思ったが、冒頭の「おっ、ズラかったか」の第一声で機先を制せられた格好となり、声が出なかったことを覚えている。

「ズラかる」とは逃げる、消えるといった意味合いで、筆者も子供の頃、遊び仲間と「ズラかろう」などと言い合っていた記憶があり、決して上品な言葉とは言えない。

だが、田中の口からふっとその言葉が出たとき、決して飾らず“地”のままで突っ走ってきた政治家であることが感じられ、むしろ微笑ましく思ったものである。