車中で裸や六本木のバーをはしご酒…田中角栄研究の第一人者が今だからこそ明かす驚きの“角栄秘話”



ゴルフ嫌いから病みつきに

結局、いつか正式に取材を申し込もうとしているうちに、田中はそれから数年後の昭和60(1985)年2月27日の夕方、東京・目白台の私邸で倒れた。

重度の脳梗塞を発症し、政治生命を失ったあと、闘病8年を経て平成5(1993)年12月16日に75歳で死去した。

筆者は、田中をひたすら“凝視”しながら、半世紀余にわたり永田町を取材、出版、執筆などをしてきたが、思い起こせば、まだまだ書き残してきた「とっておきの話」がある。

そのいくつかを3回に分けて披露してみたい。

以下は、言うなら新たな秘話集である。

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ゴルフ好きで知られた田中だが、当初は佐藤栄作元首相に勧められても、「あんなもんワシは絶対にやらん」と言い張っていた。

ところが「黒い霧事件」の責任を取り、48歳で自民党の幹事長を辞任した際、いささかの時間ができたことで一度コースに出てみた。

すると、これで病みつきになり、「まぁ世の中でゴルフくらい面白いもんはない」とまで言い切っていた。

首相退陣後は毎夏の1カ月を軽井沢の別荘で過ごし、まさに“ゴルキチ”三昧で、どんな政財官の大物であっても「手が放せん。ワシに会いたければこっちにやって来い」であった。

さて、これは首相在任中のハプニングだが、折から明治神宮を参拝した帰途の車中で、突然、田中はモーニングを脱いで裸になってしまった。

これを後続のパトカーに乗った警護の警察官が目撃し、すわっ事件か、何事が起こったのかと、一瞬、緊張が走ったのは当然であった。

じつは、田中は狭い車の中で、これから向かうゴルフ場での時間を少しでも多く取ろうと、早々とゴルフシャツに着替えていたのである。

なんともせっかちな、冒頭の「ズラかったか」に匹敵する“地”を出した田中だったのだ。