車中で裸や六本木のバーをはしご酒…田中角栄研究の第一人者が今だからこそ明かす驚きの“角栄秘話”



古賀政男の『影を慕いて』を熱唱

田中と料亭は切っても切れない関係だったが、これは東京・港区六本木のバーを“はしご”したという珍しい逸話である。

首相退陣から5年余が過ぎ、田中は権力維持のため田中派を再構築しようと画策していた。

そうして「木曜クラブ」を旗揚げする3日前、昭和55(1980)年10月20日のことである。

この日、旧水田派で無所属だった原田憲元郵政大臣が、田中派への“入会申し込み”を表明し、ご機嫌の田中はまず赤坂の料亭「田川」で会談、いわば田中派入りの盃を交わした。

もっとも原田は、この席に1人で来るのは気後れしたか、気の合う時の櫻内義雄幹事長(のちに衆院議長)を同道してきた。

原田、櫻内の両人は共に“ヅカ(宝塚)ファン”で鳴り、ヅカ・ガールの後援会「宝友会」の会長、副会長としてのよしみもあった。

料亭を出た3人は六本木に場所を移し、ネオンの下で肩を組みつつ、櫻内なじみのバーなどを“はしご”して歩いたのである。

とあるバーでは、3人が次々とマイクを取った。

原田、櫻内の両人が「〽スミレの花咲くころォー」などと声を張り上げると、次に田中もマイクを取って神妙な顔で歌い始めた。

古賀政男の名曲『影を慕いて』であった。

この場面を目撃していた社会部記者が、のちにこう述懐していた。

「角さん、『過ぎたまぼろしのわが政権、しかし、これからも“角影”を発揮、風雨に負けずガンバル』との思いに浸っていたように見えた」

田中がこうした六本木のバーを“徘徊”するなどは極めて異例で、沈没危機にあった田中派への援軍が、よほどうれしかったとみられる光景だったのである。

(本文中敬称略/この項つづく)

文/小林吉弥

「週刊実話」1月2日号より

小林吉弥(こばやし・きちや)

政治評論家。早稲田大学卒。半世紀を超える永田町取材歴を通じて、抜群の確度を誇る政局・選挙分析に定評がある。最近刊に『田中角栄名言集』(幻冬舎)、『戦後総理36人の採点表』(ビジネス社)などがある。