中日「落合竜2.0」に舵 井上新監督就任で星野派一掃 20年前の“オレ流野球”復活へ

バンテリンドーム ナゴヤ(C)週刊実話Web
球団史上初の3年連続最下位に終わった中日は、立浪和義監督(55)が責任を取って辞任。球団は間髪を置かず、井上一樹(53)二軍監督を内部昇格させ、新監督に就任させた経緯はご存じの通りだろう。

一連のスムーズな流れは大島宇一郎オーナーを中心とした本社幹部の話し合いで、「2004年の落合ドラゴンズへのチーム回帰」というコンセンサスが取れていたからだ。

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今季、16年ぶりに観客動員数230万人を突破した集客力抜群の“立浪竜”より、不人気でも強かった“落合竜”に戻そうという軌道修正。

落合博満氏(70)は自身のYouTubeチャンネルで「(一部メディアが伝える)中日からの監督就任要請はなかった」と話し、監督問題への関与を否定。「これは年中行事の“飛ばし記事”。名前を出せば、まだ多少売れるんでしょ。一樹になってよかった。期待している」と新監督を祝福したが、中日関係者によれば、水面下で本社首脳と意見交換はあったという。

「落合氏は『’04年のメンバーが監督になれば、チームは強くなる』と進言したそうです。思惑通り、井上氏が監督に就いたことで今後、落合氏は石破政権の菅義偉氏のような形で最高顧問に就くのではないかと見られている」(放送局幹部)

’04年とは、落合氏が中日監督に就任したシーズン。そこから8年間にリーグ優勝4回、2位3回、3位1回。この間に落合野球を肌で吸収した選手を監督に起用すれば勝てる――という助言をもとに、中日は20年先祖返りさせる形で「落合竜2.0」に舵を切った。

その方針の下で選りすぐられた監督候補が、手塩にかけた井端弘和氏と、落合中日を攻守で支え、’11年に二軍監督としてファームを日本一に導いた井上氏。しかし、侍ジャパン監督の井端氏は’26年のWBCまで契約を残すため、井上二軍監督に決定した。