「私は選ばれたのだ」超高級クラブホステスからインドネシア大統領夫人に上り詰めたデヴィ・スカルノの武勇伝

30代でグラビア披露

70年にスカルノが亡くなると、デヴィは日本で芸能活動を開始し、74年には雑誌『GORO』(小学館)創刊号の目玉として、グラビアを披露している。

これらと並行して当時のデヴィは、インドネシアで石油関連のビジネスに取り組んでいた。いわゆる第三世界におけるリーダー的存在として、国際的にも知られたスカルノだけに、その没後も未亡人であるデヴィの社会的地位は高く、西欧社交界でも世界的なセレブの一人として迎えられた。

デヴィは「東洋の真珠」と称賛されながら、各国の要人や貴族たちと「親密な交際」を続けていたとされる。

しかし、90年代になると暴動や通貨危機などが続き、インドネシアにおける事業継続を断念。2000年からは日本のテレビ番組へ積極的に出演するようになり、いつしか肩書も「元大統領夫人」から「タレント」へと変わっていった。

第3夫人としての遺産分与があったとされ、金銭的に困るはずのないデヴィだが、それでもお笑い系バラエティーに多数出演している。これについては「テレビに出ていたほうが絶対にいいのです。露出の多さは影響力につながり、社会活動を支える力になってくれますから」と話す。

実際のデヴィはいくつかのNPO法人を主宰する篤志家でもあり、今もなお慈善活動を生きがいとしているのだ。 

文/脇本深八

「週刊実話」10月31日号より

デヴィ・スカルノ

1940(昭和15)年2月6日生まれ。東京都出身。インドネシアのスカルノ元大統領の第3夫人。日本人で海外の国家元首の妻になった唯一の女性。インドネシアの政変後、’70年にフランス・パリに亡命し、社交界で「東洋の真珠」とうたわれる。現在は活動の拠点を日本に置いて「デヴィ夫人」の愛称で大活躍している。