「総理は財界のちょうちん持ち」自民党の政治献金を痛烈批判した青島幸男のスーダラ人生

ホームレスに関しては非人道的発言も…

だが、都知事としての青島は、公約として掲げていた都市博の中止こそ議会の反対を押し切って遂行したが、ほかに目立つ成果といえばホームレスの排除を念頭に、新宿西口から都庁へ向かう通路へ「動く歩道」の設置を決めたぐらい。

かつての新宿西口地下広場を知る者からすれば、青島の英断のようにも思うだろうが、当時としては青島がホームレスに関して発した「独特の人生観と哲学をお持ち」「何も悪いことはしていないというご自覚なんでしょうが、通行する方に嫌な思いをさせていることには、それなりの責任を感じていただかなければならない」などの言葉が非人道的だと批判にさらされたりもした。

都知事となった青島が目立った仕事をできなかったのは、議会がオール野党であるためやむを得なかった事情もあるのだが、のちに都知事となる石原慎太郎が「1995年の都知事選で僕は青島君に1票入れたんだ。もうちょっと何か奇想天外なことをしてくれると思ったんだがなあ」と語ったように、投票した都民たちから失望を買うことになったのは確かだった。

結局、1期4年で都知事を辞した青島は、2001年と2004年に再び参院選に挑戦するも落選。実質的な政界引退となった。 

文/脇本深八

青島幸男(あおしま・ゆきお)

1932年7月17日生まれ。早稲田大学卒業。放送作家、作詞家、タレントなどさまざまな分野で活躍した後、1968年に35歳で参議院議員に当選。持ち前のセンスで政界に存在感を示す一方、小説を執筆すれば1981年の『人間万事塞翁が丙午』で直木賞を受賞。1995年には東京都知事選に出馬して圧勝した。2006年12月20日死去。