「総理は財界のちょうちん持ち」自民党の政治献金を痛烈批判した青島幸男のスーダラ人生

「俺が死ぬか金丸さんが降りるかのどっちかだ」

1992年9月、自民党・金丸信元副総裁が、東京佐川急便事件に関連して5億円の賄賂を受け取った疑いがあるにもかかわらず、東京地検は罰金20万円の略式起訴で幕引きを図った。

すると青島は「そんなことが許されたら誰も税金を払わなくなる。そんなことをまかり通してはダメだ」と言って、国会議事堂前でハンガーストライキを決行した。

青島は「民主主義の敵、金丸を許すな」と書かれたプラカードを掲げ、パイプ椅子に座ると「俺が死ぬか金丸さんが降りるかのどっちかだ」と息巻いたが、前年に悪性リンパ腫を患っていたこともあり、間もなく体調を崩して断念している。

それでも青島の訴えが世論を動かしたところもあっただろうか、金丸は直後の10月に衆議院議員を辞任することになった。今の時代にも、青島のように本気で政治の腐敗を正そうという議員がいたならば、昨今の自民党裏金疑惑にしても、もっとすっきりとした答えが出ていたのかもしれない。

参院選で5回の当選を果たした青島は、その任期途中の1995年4月、鈴木俊一都知事が東京臨海副都心での開催を進めていた『世界都市博覧会』の中止を公約に掲げて、東京都知事選に立候補する。

鈴木の後継者としては、自民党や公明党、旧社会党が相乗りで推薦する元内閣官房副長官の石原信雄が立候補したものの、無党派の青島は約170万票を獲得。石原に46万票を超える大差をつけて圧勝した。

また、この結果は既存政党の関係者たちに大きなショックを与えると同時に、以後の都知事選が「知名度優先」になるきっかけともなった。