雪印乳業“お飾り社長”の失言「私は寝てないんだ」日本最大級の食中毒事件で“スノーブランド”の信頼が失墜

石川哲郎
大正時代に創業された雪印乳業は最盛期にグループ全体の売り上げが1兆円を超え、牛乳やバター、チーズなど乳製品全般において、「スノーブランド」として長く親しまれてきた。

だが、2000年6月末、近畿地方を中心に集団食中毒事件を起こしてしまう。同年3月、北海道にある同社の工場で発生した停電によって、このときに製造中だった脱脂乳の中で黄色ブドウ球菌が増殖。加熱殺菌処理が施されたものの、製造された脱脂粉乳の中には菌から発生した毒素が残ったままだった。

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この汚染された脱脂粉乳を原料として、大阪工場では低脂肪乳や飲むヨーグルトが製造され、これを飲食した消費者の間で食中毒が次々と発生。製品は自主回収されたが、ブランドイメージの低下を恐れて食中毒の疑いについては告知せず、大阪市保健所が独自で記者発表を行った。

その結果、同年6月27日に最初の届け出がなされて以降、食中毒の報告があった有症者数は1万4780人に達した。これは自己申告による数字だが、それでも日本の歴史上で最大級の食中毒事件には違いない。

最大級の食中毒事件には違いない。

雪印乳業は1955年にも、東京都の学校給食で使用された脱脂粉乳による集団食中毒事件を起こしている。

2000年の事件と同様に工場内の停電と機械故障によって、原料乳が粉化前に長時間放置されたことで、黄色ブドウ球菌が大量増殖したのだ。

だが、このときの同社は事件が発覚した際、即座に製品を回収するとともに謝罪会見に臨んだ。その素早い対応は誠意の表れだとして、長期的にはむしろ企業イメージの向上につながったともいわれている。