雪印乳業“お飾り社長”の失言「私は寝てないんだ」日本最大級の食中毒事件で“スノーブランド”の信頼が失墜

 

「社長は頭を下げていればいいんです」

この様子がニュース映像で繰り返し流されると、世間の同社に対するイメージは悪化の一途をたどり、大手スーパーマーケットをはじめとする日本全国の小売店の棚から、雪印製品が外される事態となってしまう。 

石川社長は発言から2日後、混乱の責任を取る形で辞任を表明することになるのだが、社長にも同情すべき点はあった。

問題発言に先立つ7月1日の会見で、社長は工場で黄色ブドウ球菌が増殖していた事実を知らされておらず、担当者がその事実を発表したとき、それを聞いた社長が「キミ、それは本当かね?」と戸惑いを見せる一幕があった。

石川社長が就任した1997年当時は、雪印グループの強化を実現した先々代の社長が会長、東大農学部卒のエリートだった先代社長が副会長の座にあり、この2人と石川社長の3人が代表権を持つ状態だった。

つまり、石川社長は社員たちからすれば「3番目」の存在で、どこかお飾り的に見られていたところもあったのだと、当時を知る業界専門紙の記者は話す。

財務畑の出身で現場の事情には詳しくなかったこともあり、周囲からは「社長は頭を下げていればいいんです」とだけ言われて会見に臨んだともいわれ、そこで記者からの集中砲火を浴びたことにより、一種のパニック状態になったのかもしれない。

2002年には系列の雪印食品で、狂牛病対策の補助制度を悪用して外国産牛肉を国産と偽る「牛肉偽装事件」が発生。食中毒に続く立て続けの不祥事により、企業イメージの悪化を避けられなくなった雪印グループは分社化、事業売却を余儀なくされたのだった。 

(文=脇本深八)

石川哲郎(いしかわ・てつろう)

1933(昭和8)年9月4日生まれ。新潟県出身。小樽商科大学卒業後、雪印乳業に入社。主に財務部門を担当し、’97年に代表取締役社長に就任。日本乳業協会の初代会長も務めた。2000年に発生した雪印乳業の乳製品による集団食中毒事件の責任を問われ、引責辞任に追い込まれた。