A級戦犯容疑をかけられた「昭和の妖怪」岸信介“旧統一教会問題で再注目”孫・安倍晋三元首相まで3代続く因縁の始まり

岸信介
“昭和の妖怪”と呼ばれた元首相の岸信介。しもぶくれの細長い顔に出っ歯という面相もあだ名の一因ではあるが、もちろんそれだけではない。

日中開戦前に満州国の官僚として財と人脈を築き上げ、東條英機内閣の閣僚となった岸は、日米開戦の詔勅に署名し、敗戦後にはA級戦犯容疑者の一人として東京・巣鴨プリズンに収監された。

【関連】噓泣き疑惑にブリッコ批判、勝手に破局会見…昭和のトップアイドル・松田聖子の波乱万丈人生 など

しかし、東京裁判で不起訴となり、釈放されている。

1952年4月に日本が独立を果たすと、岸は公職追放を解除され、それからわずか2年ほどの間に自由党と日本民主党の保守合同を主導。自由民主党(自民党)を結成して幹事長に就任すると、1957年1月には病に倒れた石橋湛山に代わって首相臨時代理に就任し、その翌月、正式に岸内閣を発足させている。

いくら戦前からの実力者であったとはいえ、A級戦犯容疑者が首相に就任するにしては期間があまりにも短く、岸が米国CIA(中央情報局)の援助を受けていたという噂は絶えない。

これが事実であれば、岸は米国の国益のためにつくられた首相だったことになり、こうした経緯の怪しさが前述した「妖怪」たる異名のゆえんでもある。