A級戦犯容疑をかけられた「昭和の妖怪」岸信介“旧統一教会問題で再注目”孫・安倍晋三元首相まで3代続く因縁の始まり

「銀座通りもいつもと変わりがない」

当時、CIAと関わりのあった日本の重要人物については、米国国立公文書館で記録が公開されており、緒方竹虎(元副総理)や正力松太郎(元読売新聞社社主)に関する資料は数百枚にも及ぶ。

だが、岸についての公開書類はわずか5枚しかなく、こうしたことからもCIAによる岸への関与の実態が、いかに重大な機密であったのかがうかがえよう。

首相となった岸は「政治生命を懸けた大事業」と宣して、日米安全保障条約の改定に取りかかった。

1951年に結ばれた同条約は、米軍による日本の支配を主目的としたものであり、米軍の日本防衛義務については明記されていなかった。

それが岸政権における安保改定では、米軍による日本防衛の義務が記されることとなり、一見すると日本にとってのメリットが大きいようではあった。

だが、改定では「極東条項」が盛り込まれ、これは米軍がアジア戦略のため、在日米軍基地を自由に使うことを意味した。

また、新たに記された「相互協力」の文言は、米国の戦争に日本を協力させるものとして、左派活動家や急進的な大学生たちを中心に大きな反発が巻き起こった。

いわゆる「安保闘争」である。

1960年1月に訪米して「新安保条約」に調印した岸は、同年5月の国会で「条約廃棄」を訴えていた社会党を本会議場から締め出し、自民党単独での採決を強行。国会議事堂の周辺にはデモ隊が連日押し寄せたが、岸は「デモの参加者は限られている。都内の野球場や映画館は満員で、銀座通りもいつもと変わりがない」と言い放ち、安保改定に問題なしとの姿勢を貫いた。