A級戦犯容疑をかけられた「昭和の妖怪」岸信介“旧統一教会問題で再注目”孫・安倍晋三元首相まで3代続く因縁の始まり

暴漢に襲われて重傷を負う

デモは激しさを増す一方で、警察だけでの対処が困難になると、自民党は裏で右翼団体、テキヤ組織、宗教団体などにデモ隊排除への協力を要請したという。

このときに岸と旧統一教会の関係が深まり、それが娘婿の安倍晋太郎、孫の晋三にまで続くことになる。

同年6月には東京大学の学生で活動家の樺美智子さんが、警官隊との衝突の中で圧死する事故が発生。デモ隊は国会だけでなく首相官邸も取り囲み、警備を担当していた警察は岸に退避を要請したが、「俺は殺されようが動かない。覚悟はできている」と官邸にとどまり、新安保条約発効の期限となったところで、混乱の責任を取り首相辞任を表明した。

しかし、その直後に岸は、首相官邸の玄関付近で暴漢に太ももを6カ所も刺される重傷を負う。

犯人はその動機について「亡くなった樺さんへの同情と、岸に反省を促すため」と供述している。

「安保改定が国民にきちんと理解されるには、50年はかかるだろう」と話した岸だが、その一方で、日本の自主独立に向けた憲法改正やスパイ防止法の制定については、並々ならぬ意欲を見せていた。

そんな岸の政治スタイルに対しての賛否はそれぞれありそうだが、いずれにしても現在の政界にまで多大な影響を与え続けていることに間違いはなかろう。

(文=脇本深八)

岸信介(きし・のぶすけ)

1896(明治29)年11月13日生まれ〜1987(昭和62)年8月7日没。山口県出身。東京帝大法学部卒業後、農商務省に入省。満州国総務庁次長、東條英機内閣の商工大臣などを務め、敗戦直後の45年にA級戦犯容疑で勾留されたが不起訴となり、48年に釈放された。1957年に首相就任。広範な反対運動を排して、新安保条約を成立させた。