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「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」は“731部隊の亡霊”か!?

(画像)Vladimir Trynkalo / shutterstock

日本の新型コロナウイルス対策で主導権を握ってきたのは「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」(以下、対策会議)で、ここを司令塔に様々な手が打たれた。

だが、この対策会議の「人事と情報独占の体質」を批判するのが、血液感染症学を専門とするベテラン医師の上昌広医療ガバナンス研究所理事長だ。

上氏は、対策会議のメンバーが「国立感染症研究所=感染研」「東京大学医科学研究所=医科研」「国立国際医療研究センター=医療センター」「東京慈恵会医科大学=慈恵医大」の関係者であることに疑念を抱き、そのルーツを『731部隊』と関連付けて発言している。メンバー12人のうち8人が、上記4組織の関係者で占められていたからだ。

731部隊は、中国東北部のハルビン郊外の平房に研究施設を造り、敷地内には野外実験場も備えていた。本部の組織は、事務と資材部門以外は「生物学的研究」と「ワクチン製造」にあたっていた。

研究室で扱う病原菌はペスト、コレラ、赤痢、チフス、炭疽菌、結核菌と幅広く、天然痘ウイルスの研究も行い、病気を媒介するノミを研究する「昆虫学班」もあった。つまり、731部隊は「細菌・ウイルス」研究のデパートであったわけだ。

世界で最初に生物兵器として「細菌」に注目し、細菌を兵器として実用化するための研究が、1930年に陸軍軍医学校の「防疫研究所」で始まった。主務者は、石井四郎三等軍医正(のちに軍医の最高位中将)。彼が関東軍の中に偽装施設として「防疫給水本部」を創設したのが1936年で、その後、40年に名称は「関東軍防疫給水本部」と変わった。

“細菌兵器”の実用化を目指し…

ここで「人体実験」(被験者をマルタと称していた)が行われ、終戦までの犠牲者は数千人ともいわれている。

731部隊が開発し、実用化を目指した兵器は、終戦直後にプロトタイプが完成した「細菌爆弾」であった。封入したのはコレラ菌やペスト菌で、実際に対米戦に使用することを検討したが、日本も批准していた「ハーグ陸戦条約」に反する兵器として使用を認められなかった(爆弾の本体が陶器製であったため、「過度の高温のため、赤痢菌、チフス、バラチフス、コレラ、ペストのごとき抵抗力の弱い細菌が、ほとんど100%死滅する」とされ、実用化するのも困難だったとされる)。

こうした研究を繰り返していたにもかかわらず、部隊長の石井四郎軍医中将以下、幹部将校と医者や研究者は、現地から復員後に東京裁判で訴追されることもなく社会に復帰。国の研究機関や大学の研究所、民間の製薬会社などに職を得ていたというのだ。

彼らが、東京裁判で戦犯の訴追を免れた背景には、戦後の米ソ冷戦も深く関わっている。

「石井以下の731部隊関係者を訴追する」ことを強く主張したのはソ連だが、GHQ参謀長直轄の法務局(L・S)が、米国に対して「部隊関係者をソ連に尋問させることの是非」を問うたところ、米国政府は「ソ連の要求する石井に関する重要資料の提供と尋問を拒否すべし」と通告。L・Sはソ連の訴追を拒否し、東京裁判では731部隊関係者の証人出廷もなく、資料も一切、公開されることはなかった。要するに、石井資料は米国が独占したのだ。

アメリカの「CDC」と731部隊の類似性も指摘

厚生省援護局(現厚生労働省社会援護局)の資料によると、終戦時、731部隊に勤務していた隊員の総数は3560人(内訳=軍人1344人、軍属2208人、不明8人)。それぞれの就職先の大学をみると、東大、京大、九州大、長崎大、三重大、信州大、岡山大、昭和薬科大、順天堂大、慈恵医大などの病理学部門。研究所は国立予防衛生研究所(予防研)、阪大微生物研究所、京大微生物研究所、北里研究所、東大伝染病研究所(伝研)などとなっている。

上氏が指摘した前述の4組織(感染研、医科研、医療センター、慈恵医大)関係者のルーツをたどると、確かに731部隊の人脈につながっているのだ。

上氏は「伝研の戦後組織」について、このように発言している。

「伝研は47年にGHQの指示で、半分が厚生省所管の国立予防衛生研究所(のちの感染研)として分離独立、半分が伝研として残り、67年に医科研に改題された。ただ、戦後も軍との関係は残った。予防衛生研幹部に陸軍防疫(731)部隊関係者が名を連ねたのはその一例だ」

さらに、アメリカの「CDC」(疾病予防管理センター)と医科研の存在についても、その危険性を指摘している。

「CDCは、戦前の日本の伝研に相当する組織だ。CDCの特徴は、政府から独立して、感染症対策を立案、遂行できることだ。情報開示の圧力を避け、独走することが可能となる。まさに731部隊がやったことだ」

上氏は、新型コロナ対策会議の人選が、旧軍時代の特に731部隊の人脈を引き継ぐ研究者や医師を中心に選抜されたことに疑念を呈して、「患者から採取した検体資料の独占を図ることで情報の秘匿を画策している」と、その体質を批判している。

ただ、戦後は731部隊のダーティーな部分だけがステレオタイプに拡散してしまったが、基礎研究の成果は、間違いなく戦後日本の医学界や製薬事業に貢献していることも見逃せない事実だ。

〝731部隊の亡霊たち〟が、この国を守ってくれるのを祈るしかない。

【画像】Vladimir Trynkalo / shutterstock

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