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天童よしみ、昨年末の『紅白歌合戦』を語る 「最高や!」発言に込められた大阪への思い【インタビュー】

『紅白』復帰時に大号泣

天童よしみ
天童よしみ (C)週刊実話Web

――天童さんの運命を変えた曲だった、と。

天童「はい。父は『この曲、絶対に売れるから、売るんやで』と言い、母も『頑張ってここまで来たんやから』と言ってくれて、3人で手を握り合いました。そのときの、父の手の力強さが忘れられないですね」

――『道頓堀人情』は地道なプロモーションが実を結んで大ヒットとなり、天童さんの代表曲となりました。

天童「阪神タイガースが38年ぶりに日本一になった昨年、大みそかの『NHK紅白歌合戦』は初の大阪中継で、新世界に作られた舞台の上で『道頓堀人情』をまた歌うことができました。歌いながら、私はなんて幸運なんだろうって思いました。だから思わず、予定にない『最高や!』という言葉が出てしまったんですよ」

――高ぶったお気持ちが口をついて出たわけですね。

天童「新世界は竹中先生に肝だめしをさせられた思い出の場所でもあるので、本当は号泣したかったぐらい。若い人たちも行き交う様変わりした新世界で、通天閣をバックに歌えたのは誇らしかったです」

――本当に素晴らしいステージでした。紅白歌合戦には、27回連続(通算28回)で出場されています。

天童「1993年に『酒きずな』で初出場しました。そのあとブランクがあって、97年に『珍島物語』でまた出てほしいとお声がかかりました。この紅白復帰したときは、ものすごく泣きました。歌手になって、こんなにうれしいと思ったことはなかったです。これで本格的に『珍島物語』がヒットしましたし、番組を見て感動したテリー伊藤さんが〝よしみちゃん人形〟を考えてくださったんです」

――ご苦労もなさってチャンスをつかまれた天童さんだからこそ、『道頓堀人情』の「負けたらあかん」の一言にお力があります。2024年も期待しています!

天童「まずは率先して『昭和かたぎ』を売りまくります。ぜひ生で聴いてほしいので、皆さんの元にも伺いたいという思いです。それで1つでも幸せを感じていただきたいですね」

(取材・文/牛島フミロウ、企画・撮影/丸山剛史)

天童よしみ
天童よしみ (C)週刊実話Web

天童よしみ
1954年9月26日生まれ。和歌山県出身。71年に吉田よしみ名義で『大ちゃん数え唄』を発表し、翌年に天童よしみ名義の『風が吹く』でデビュー。その後は数々のヒット曲を生み出す。1993年には『NHK紅白歌合戦』に初出場し、2023年まで27回連続で出場中。

昭和かたぎ
昭和かたぎ

『昭和かたぎ』
52年目の最新作が2月21日に発売予定。作詞・水木れいじ、作曲・水森英夫の黄金コンビによる本格演歌で、昭和を生きた女性の優しくも力強い姿を天童節で歌い上げる!

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