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吉永小百合の体に「自分の名前を刺青したかった」警官にも発砲した“狂気のサユリスト”〜女性芸能人暴行事件史③

吉永小百合
吉永小百合 (C)週刊実話Web

若く美しいアイドルや女優たちの活動は、常に行き過ぎたファンの〝狂気の牙〟に狙われる危険性と背中合わせだ。

1959年に映画『朝を呼ぶ口笛』でデビューし、62年公開の映画『キューポラのある街』でブルーリボン主演女優賞を最年少(17歳)で受賞。歌手としても20万枚のヒットを飛ばした国民的大女優・吉永小百合は、何度も「攻撃対象」になっていた。

「63年、当時18歳の吉永の自宅に、ナイフとピストルを持った男が押し入り、両親が警察に通報。男が駆けつけた警官に発砲し、怪我を負わせる事件が起きました。逮捕された男は、『(吉永と)結婚したかったけど無理だとわかり、自分の名前を(吉永の体に)刺青にして記念にしようと思った』という危険すぎる供述をしています」(芸能リポーター)

爆弾魔「草加次郎」からの脅迫状

この頃の吉永は、歴史的な犯罪にも巻き込まれていた。

62年11月に島倉千代子の後援会事務所に爆発物を送りつけ、男性職員に火傷を負わせる事件が発生。「草加次郎」を名乗る犯人は、その後も、映画館や電話ボックス、浅草寺などに爆発物を仕掛け、屋台の店主を銃撃するなど日本中を震撼させた。

この爆弾魔から、吉永のもとに現金を要求する脅迫状が7通も届いていたのだ。

「100万円を要求する脅迫状と、発射済みの銃弾が同封されていたこともありました。一度は、吉永の父親が指定された上野の喫茶店に出向いたが、犯人は現れなかった。当時上映されていた映画『天国と地獄』を真似て、急行列車から現金を投下せよとする指示もあったが、実現には至らなかった」(同・リポーター)

この「草加次郎」は、吉永と同じ映画女優だった鰐淵晴子や桑野みゆきの自宅にも脅迫状を送りつけていた。警察も威信をかけて捜査したが、未解決のまま時効を迎えている。

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