愛甲猛/江本孟紀(C)週刊実話
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新春インタビュー②・江本孟紀 愛甲猛〜ド迫力に思わず震えた!プロ野球「東西」番長番付〜

江本孟紀&愛甲猛の『新春大放談』パート②は、さまざまな選手と相対してきたお二人に「球界の番長番付」を作成していただいた。怖いものなしのお二人でさえ、思わず畏縮してしまった暴れん坊たちの伝説とは!? どんな逸話が出てくるか、ご期待ください!


【関連】江本孟紀 愛甲猛インタビュー①〜プロ野球 苦言・提言・あの事件の真実〜 ほか

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――球界の「番長」といえば誰になりますか?


江本孟紀(以下、江本)横綱は張本(勲)さんしかいないね。東映1年目のキャンプでフリー打撃登板を命じられたんだけど、途中入団で肩もできておらず、まったくストライクが入らないんだよ。大杉(勝男)さんや白(仁天)さんには「バカ野郎! ストライクを投げろ!」と言われたんだけど、ハリさんは何も言わずボール球を打ってくれた。それで心が救われて、次第にストライクが入るようになったんだ。打撃技術だけでなく人としての優しさも並ではないなって。


――実は恩人なんですね。


江本 その夜、ハリさんの部屋に挨拶に行ったんだ。「ケンカしたらあかんぞ」と言われた後、段ボールに入ったお菓子を「好きなだけ持って帰れ」と。俺ら新人は10畳の部屋で雑魚寝をしてたんだけど、ハリさんは一人部屋でね。


愛甲猛(以下、愛甲)僕も1年目のとき、張本さんが田淵(幸一)さんを紹介してくれたんですが、いきなり「おい愛甲、こいつが有名なバカだ」と。


江本 返事に困るね。


愛甲 西武戦で乱闘になったときも、田淵さんや山崎(裕之)さん、大田(卓司)さんらともめて、本当にケンカのような雰囲気の中、最後にハリさんが出てきて「こら! おまえら野球できへんようにするぞ!」って。この一喝で乱闘が収まりました。そもそも乱闘の原因はロッテの死球でしたけど(笑)。


江本 阪神時代、巨人戦で乱闘になったとき、俺の後ろでハリさんが「エモ、○○(巨人の選手)をやれ!」って言ってたよ(笑)。嫌いだったみたい。


愛甲 キャンプ初日に当時の山内(一弘)監督が訓示をしたんです。山内さんって話し出すと止まらなくて「かっぱえびせん」(やめられない止まらないの意)と呼ばれてたんですが、長い話が終わった直後、監督の真正面に座っていた張本さんが「結局アンタ、何が言いたいんだね」って。監督のことを「アンタ」って呼ぶので驚きました(笑)。

星野さんはすごい交友関係

――もう一人の横綱は誰ですか?

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江本 西もハリさん。人間的な器量が突出している。でも、セカンドゴロを打つと走るのやめてたよ(笑)。


愛甲 別格ですね。試合に出ない日はベンチで喋ってるんです。「若いころはセーフティバントをして笑いながら走った」なんて聞きましたけど、1年目のキャンプのとき、サインを頼まれて張本さんの部屋に行ったら、大汗かいてバットを振ってました。大選手は人が見てないところで練習してるんです。


――では大関を。


江本 大杉さんだね。東映時代、チームメートの白さんとロッカーで大乱闘をして、それをハリさんが止めたという伝説を聞いた。俺の阪神時代、大杉さんはヤクルトに移籍しててね。女性歌手との噂が出た巨人の小林(繁)をヤクルトの選手がヤジり、彼が憤慨して大杉さんに「ひどいヤジをやめてください」とお願いすると、次の日からピタリと収まった。いい話だと思ったら、あとで松岡(弘)が「大杉さんが一番最初に言ったのに」って。


愛甲 ワハハハハ!


江本 西は〝球界のフィクサー〟根本(陸夫)さん。西武をつくった根本さんがダイエーに移る際、東京から福岡に直接向かわず、足跡を消すために広島で降りるんだ。まるで007だよ。


愛甲 僕は山本一義さんです。ロッテで2年間監督をされましたが怖かったです。広島弁でオールバック。マウンドで四球出したら「ピッチャーやめい!」と蹴飛ばされました。


江本 見かけは紳士だけど。


愛甲 その道の方と兄弟でした(笑)。


――次は関脇です。


江本 星野(仙一)さんが横綱でないのは、やっぱり〝ジジ殺し〟の一面もあったからだね。


愛甲 一度、仙友会(星野仙一を囲む会)に呼ばれましたが、一流の財界人が大勢集まっていました。すごい交友関係でしたね。


江本 野球界の政治家なのに政治家にならない。


――野球界の政治家のお言葉です(笑)。


江本 僕は2号で、1号は元東急の白木義一郎さん、3号が三沢(淳)、4号が石井(浩郎)、5号が堀内(恒夫)。それはともかく、ピッチャー交代後には「バカ野郎!」なんて叫ぶ声がよく聞こえてきたね。


愛甲 中日監督当時、東京ドームで負けると、帰りのバスの車内はお通夜状態で、星野さんが運転手に「もっと飛ばせ!」って言うんです。皇居周辺をバスが猛スピードで(笑)。道路が混んでいると「ここ入れ!」と、一方通行の逆走を指示したり。コーチへの伝達がうまくいかずに敗れた試合後、監督室の椅子が壁に突き刺さったのも目撃しましたよ(笑)。でも、僕は8人の監督に仕えましたが、最も野球がやりやすかったです。1999年のリーグ優勝決定試合で「タケシ、代打だ!」と言われて、ヒットを打てたのが印象深いですね。


江本 東京六大学時代、俺は法政で星野さんは明治だったんだけど、コーチャーズボックスで「こらっ、エモ!」なんて怒鳴ってたよ。めちゃくちゃ怖かった。

猛練習にキレた選手を制裁

――温厚そうに見える古葉(竹識)さんが関脇とは意外です。

江本 南海時代に阪急戦で打ち込まれ、ベンチで「あんなサイン出しやがって」とノムさん(野村克也)を批判していると、コーチだった古葉さんに、ドスの効いた声で「やめておけ」と言われて震え上がったね。本物の迫力だった。


愛甲 古葉さんの武勇伝はいろんな方から聞きます。


江本 甲子園の近くに広島の監督とコーチ陣がスタッフ会議をする喫茶店があるんだけど、僕も行きつけで、一緒によくコーヒーを飲んだね(笑)。


――関脇の有藤(道世)さんも肝が据わっている感じがします。


江本 同じ高知出身で高校時代も対戦したなぁ。


愛甲 有藤さんに麻雀に誘われたときのこと。リーチをかけると有藤さんからロン牌が出て、倒そうとしたら「アガれるもんならアガってみろ」と言われ、45度に傾いた13牌を慌てて戻しました。あんなに指先に力を入れたこと、生まれて初めてでした。


――ワハハハ!


愛甲 有藤さんがロッテ監督になったときは、まさに地獄のキャンプでした。40分の特守をした後、外野で有藤さんが投げたボールを捕らされるんですが、あまりのつらさに笠原(栄一)がキレたら、反対に「なんだ、この野郎!」とボコボコにされて(笑)。オールスター期間にもミニキャンプをしたのですが、野手は2時間打ちっぱなし、投手は真っすぐを200球。ブルペンの横でフラフラになった投手に、バケツの水をぶっかけてましたよ。引退してすぐ監督になったので、体力があり余ってました。


――小結の大下(剛史)さんは練習の鬼だったとか。


江本 東映時代はセカンドでレフトのハリさんに「もっと後ろ!」なんて言ってたよ。ハリさんに指示したのはあの人だけだったね。


愛甲 高橋慶彦さんを育てた通り、カープの練習の基盤をつくった方ですよね。12球団で一番キャンプの練習時間が長い。


江本 まさに鬼軍曹のような人だった。中日監督時代の落合(博満)も選手を鍛えたけど、大下さんと落合は仲いいよ。兄弟分だな。


――愛甲さん、落合さんは入りませんか?


愛甲 番長タイプじゃないよ。危険ゾーンに入っていかない方だし。


――白さんは首位打者を獲得しています。気が短く乱闘も多かったそうで。


江本 大杉さんとのケンカはすごい迫力だったみたいだね。ノムさんのささやき戦術に対抗するため耳栓をしたとか。土井(正博)さんは近鉄の4番だったけど、対戦するのが嫌だった。


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愛甲 19歳の4番ですよね。子供の頃に見て打撃フォームを真似しました。


江本 懐が広くて人のいい方だよ。現役時代からスナックを経営してた(笑)。俺が選んだ人たちは、みんな怖いけれど優しくて男前なんだ。


愛甲 怒らせたら怖いと思ったのは木樽(正明)さん。有藤さんの1歳下だけど、ロッテに入団したときは、有藤さんが大卒で木樽さんが高卒なので、木樽さんが先輩。有藤さんでさえ唯一ビビったと言ってました。その頃から「仁王様」と呼ばれていて、力が尋常じゃなかったです。乱闘の際も体の大きな外国人選手を羽交い絞めにしてました。木樽さんと有藤さんは怒らせちゃダメだと、みんな言ってました。銚子商出身なので「さすが漁師だ」なんて言われてました。

変形グローブに見たプロ魂

――江本さん、江夏(豊)さんは入りませんか?

江本 あっ、彼は入れないと! ハリさんに次いで東西ともに入る選手だね。打席に立ってボールが見えない投手は彼だけだった。


愛甲 江夏さんのグローブが欲しくて村田(兆治)さんに頼んだら、いとも簡単にもらえたんですが、グローブの下側が大きくて驚きましたね。江夏さんいわく「手首の角度で変化球がバレる」と。プロはそこまで考えているのかと驚かされました。


江本 ノムさんに言われたんじゃないかなぁ。


愛甲 スパイクの土を取る癖があるため、江夏さんが投げるボールって土がつくんです。カープ時代、巨人戦で若手の頃の中畑(清)さんが代打で出たとき、ベンチの指示で「ボールを替えて」と主審に頼むと、江夏さんに「若造、10年早いわ!」って、すごまれたそうです。あと、球団のバスを待たせて、喫茶店でコーヒーを飲んでいたと聞いたことがあります。古葉監督すら待たせたと(笑)。


――最後に、お亡くなりになった村田兆治さんとの思い出を…。


愛甲 黙々と一人で練習をするなど、プロとしての生きざま、野球に対する向き合い方を教えてもらいました。ほかの投手と異なり、ピッチャーゴロを捕ってからの送球が、とにかく速くて怖かったです。一塁送球も常にマサカリ投法で、すごい球を投げてくる。手加減しないから気が抜けませんでしたね。


江本 マサカリ投法はまさにプロの矜恃だった。俺、羽田空港で逮捕された日の2時間前に、あの検査場を通ってたんだ。礼儀正しい男だったから「なんで?」と気になってた。


愛甲 多分、モードに入ってしまったのでしょうね。打撃練習で投げてもらうと、だんだんボールが速くなり、最後はフォークを投げてくれました。キャンプ初日には、投手全員に「十勝ワイン」を配ってました。今シーズンは「10勝を目指せ」という激励の意味です。


――本日はありがとうございました。すぐにWBCもあります。お二人には今年も球界を熱く盛り上げていただきたいと思います。


(構成・文/小川隆行 撮影/内海裕之)
えもと・たけのり 1947年7月22日、高知県生まれ。高知商、法大、熊谷組を経て1971年に東映入団。同年に南海へ、76年には阪神へ移籍し、81年に現役引退。プロ通算113勝をマーク。92年に参議院議員初当選。『プロ野球を10倍楽しく見る方法』など著書は82冊を数える。最新刊は『野村克也 解体新書 完全版』。YouTube『エモやんの、人生ふらーりツマミグイ』に出演中。あいこう・たけし 1962年8月15日、神奈川県生まれ。横浜高校のエースとして1980年に夏の甲子園で全国制覇。同年秋にドラフト1位でロッテ入団。3年間の投手生活の後、落合博満に鍛えられ打者に転向。96年に中日へ移籍後は代打の切り札として活躍する。現在はアマチュア野球指導をしながらYouTube『愛甲猛の野良犬チャンネル』に出演中。