「俺、全部捨てる覚悟ですから」50歳で監督になった田澤健一郎、0勝19敗から全国大会へ【死ぬ前にやっておくべきこと】

『鶴岡ポニー』代表兼監督の田澤健一郎

村瀬秀信氏による人気連載「死ぬ前にやっておくべきこと」。『鶴岡ポニー』代表兼監督の田澤健一郎をインタビュー(後編)。全国大会出場までの3年間をたっぷり語っていただいた。

6人から始まったチームが“6連覇の王者”を倒すまで

今年9月。創部3年目を迎えた鶴岡ポニーが全国大会への切符を掴んだ。

北東北大会決勝。相手は初試合で3対26と叩きのめされた秋田NBAポニー。6人から始まり、人を借りなきゃ試合もできなかったチームが、6連覇中の強豪を倒し、全国大会出場を掴んだのだ。〝監督になりたくなかった男〟、田澤健一郎。いったい何をしたのだ。

「最初の年は0勝19敗。でも勝ち負けにはこだわらなかった。目標は最初からブレてないんです。高校、大学、その先で25歳になった時に選手として、社会人として通用する人間になること……なーんて言ってたんですけどね。妹に『あんた、すごい勝ちたがりなんだね』って言われてね。周りの誰よりも、俺が一番負けを気に病んでたらしい(笑)」

勝負師ではないと信じてきた男の、自分でも知らない姿があった。田澤は頭でこそ育成の方針を貫きながら、ハートは燃え滾っていた。6人の選手をハイエースに乗せ、相手の選手を借りながら格上のチームと試合をやりまくる。時に関東・関西へ遠征し、ぶちのめされながら、「3年後、ここで試合をするイメージをしろ」と甲子園も見せた。分不相応? そんだな、関係ねぇべ。

「いつも言うんです、『田舎者になるな』って。住んでる場所の話じゃない。小さい世界の中だけで偉そうにふんぞり返る。それが田舎者ですよ。鶴岡の子には、ロールモデルがいない。関東や関西には、身近に大学やプロでやるような選手や指導者がいるんです。甲子園やプロ、メジャーを目指すなら、小さい世界で満足するな、と。それを伝えたかったんですよ」

田澤の行動力は狂気じみていた。監督の仕事は指導だけではない。スポンサーまわりや選手のスカウトに足を使い、生徒の進路相談、親の不満を聞き、練習環境を整え、「体験会は12月」という地元の慣例も気にせず9月から始めた。

「雪で冬は野球ができない」という地元の常識にも抗い、専用の室内練習場に使えるビニールハウスを探し、土を求めて冬も関東遠征をおこなった。ライターの仕事すら、している時間はない。そんなもの、ハナから覚悟の上だった。

「ムチャクチャだって言われますけど、20歳ぐらいの出版社にいた頃を思い出しますよね。何も失うものはない、俺、全部捨てる覚悟ですから。だから負ける気なんかしませんよ。ただ、それを50歳になってやってるから、ヤバいんですけどね(笑)」

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