「俺、全部捨てる覚悟ですから」50歳で監督になった田澤健一郎、0勝19敗から全国大会へ【死ぬ前にやっておくべきこと】

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初勝利の号泣から“負けない野球”での全国切符へ

田澤の熱意によってなのか、2年目の春に12人の新入生が入った。不思議なもので、単独チームになるとチームは機能し始め、6試合目にして初勝利。田澤は自分が泣くような人間だとは思わなかったが、「ありがとう」と号泣していた。

「まぁ、うれしかったですからね。でも、そこからは勝ったり負けたりで、2年目は15勝40敗。大きく変わったのは、その秋にNBAさんに敗れた公式戦。途中までいい試合はできていたから、この敗戦が悔しかったんでしょう。選手同士で意味のある声を出せるようになったりね。その2カ月後の練習試合でNBAさんに勝ったんです。だけど泣かなかった。もう時間の問題だろうと思っていたからでしょう」

3年目となった今年の夏、関西遠征で全国に名の知れたトップチームと初めて戦い、完膚なきまで打ちのめされる。彼我の差は何か。田澤は悩み、決断する。

「彼らは中1の段階でもう“野球選手”なんです。小学生の頃に野球の常識を叩き込まれてきた。うちの地元は3年遅れてる。それで腹を決めました。あれもこれもじゃなく、とにかく野球のセオリーであり、考え方を知ってもらうこと。自滅しない、“負けない野球”に振り切った。つまらない野球だって言われてもね。のびのび野球とかノーバント野球とかは、常識、基礎を身につけたあとじゃないか、って」

結果はすぐに出た。二期生が最上級生となった初めての大会。冒頭のセンバツを懸けたNBAとの決勝戦を7対3で勝利。大会を通じて四死球1、失策1。何度言ってもできなかったことが、大一番でできた。

「甲子園は選手を驚くほど成長させるって、ライターの仕事で何度も書いてきたけど、こんな感じなのかな、と。優勝の瞬間は実感がなかったけど、球場の外で応援に来てくれた3年生を見たら、涙がぶわっと。全国に連れて行ってやれなかった一期生ですから。俺はやっぱり勝負弱いです。今でも指導者には向いていないでしょう。でも、監督の仕事って多種多様だから、俺に向いてることもあるんだな。怖さやカリスマ性で引っ張ることができなくても、選手の話を聞く。家や学校に居場所がなくても、ここに来れば自分の居場所がある。そういう場所にしたいんですよ」

目指すのは日本一。その先には、甲子園やプロ野球、メジャーで活躍できる選手を送り出す夢がある。目標は当初からブレていない。だが、子供たちの将来の姿を考えると、死ぬ前にやっておくべきことが、どんどんと増えていた。

「結局、根は小学生の頃と変わってなくて、打倒PLで、素振りよりトーナメント予想をしていた野球妄想好き。こいつをどこのポジションで使うかとか、体験に来た選手を見て、どんな選手になるかなと妄想を現実にして楽しんでいる。やっぱり好きなんですよね」

できることが減ってくる歳になって、できるとは思わなかったことを始めた。知らない自分が顔を出し、結局、元の自分だったと気づく。田澤健一郎は、50にしてまだ定まらぬ、自分の行く末の不安定さを楽しんでいる。(了)

「週刊実話」11月12日号より