【深淵ホラー劇場:映画界が封印した『G級の神々』】#13  2本の問題作を残して映画製作から退いた男――ゲリラ・メトロポリターナと「内なる悪魔」

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「私が『ゲリラ・メトロポリターナ(Guerrilla Metropolitana)』という名義を選んだのは、それが自身の映画製作のスタイルを端的に表しているからです。ゲリラはゲリラ撮影を意味し、メトロポリターナは、私の作品がすべて、大都市や都市部における社会の機能不全を題材にしていることを示しています」

ロンドンを拠点に活動するイタリア人の実験映画作家、ゲリラ・メトロポリターナ。彼はいくつかの短編と、観客に強い物議を醸す2本の長編映画を残して、映画製作の現場から、(現在のところ)突然身を引いた。

長編2作目を発表した直後、早くも3作目となる長編映画『GLORY-HOLE (A Place for Men) グローリーホール(男たちの場所)』の準備が整っており、主要な出演者もすでに確保していたという。しかし、彼は土壇場でその製作を断念し、そのまま映画界から去っていったのだった。

「私がその道を選んだのは、正気を保つためでした」

現在の彼は、精神の均衡を保つために別の芸術形式である「写真」を用いた実験に取り組んでいる。彼のこうした理解しがたい気まぐれや破天荒さは、周囲にとってはよくあることだという。この特異な芸術家を理解するため、まずは彼が辿ってきた過去の足跡へと遡ることにする。

◆ ゲリラ・メトロポリターナ、破滅とアートの狭間にあった半生


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彼はイタリアで生まれ育ち、多感な10代はバチカン市国内にある宗教系寄宿学校で厳しい規律のもと学んでいた。

ローマでは美術を本格的に専攻し、名門ロベルト・ロッセリーニ映画学院にも1年間通った。しかし、自身の探求する映画のスタイルと強い違和感を覚え、早期に退学したそうだ。

「その頃から私の中での映画のイメージは、セリフを排除した映像と音だけの抽象的な物語構造でした。私は古い友人とともに、当時よくあった型のビデオカメラで自主制作のホラー短編を何本か撮影しました」

初期のプロジェクトには、彼が反発を抱いた古典的な映画形式への抵抗としての実験性が既に備わっていた。だが同時に、彼自身の人生も激しい混乱に蝕まれ始めていた。

「当時、私はすでに薬物に手を出しており、絵画制作に没頭していました。男女を問わず学友をモデルに裸体画を描いていましたが、彼らの姿を紙に写し取った後、しばしばその相手を誘惑しました。音楽の道を歩み始めたのも、ちょうどその頃でした。映画製作も取り組みたかったことの一つでしたが、当時の私には成し遂げるのに必要な規律が欠けていました」

ローマのアンダーグラウンド・シーンでミュージシャン(ドラマー)として数年間活動した後、彼は20代前半にしてイタリアという国に窮屈さを感じ、ロンドンへと移住した。当初は生計を立てるため、裕福な男女の客を相手に男性エスコート(ジゴロ)として働いていたという。実験的な音楽バンド「MONOXIDE」での活動時は薬物やアルコールに頼ることも多く、こうした日々が続くなか、ついには何もかも中断せざるを得なくなった。

こうしてすべての芸術活動を一度ストップせざるを得ない状況へと追い込まれたのだった。


◆ 内なる悪魔が跳梁するダリウスという一本の映画

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『DARIUSS(ダリウス)』はゲリラ・メトロポリターナの最も有名な作品で、一般的にはカルト的なホラー映画と認識されアメリカでもリリースされている。しかし、あくまで彼にとっての『DARIUSS』は、ホラー要素も備えた実験映画という認識のようだ。

「実験映画とホラー映画の間には関連性があるかもしれませんが、私の場合、両者の交わりは無意識、つまり意図せず計画もなしに生じたものです。もし私の作品に、見る者に不穏な印象を与える要素があるとしたら、それは根底にあるアイデアそのものが不穏なものだからに他なりません」

『DARIUSS』は、かつて在籍していたMONOXIDEのデモ音源を彼がヘッドホンで聴いていた時に生まれた。トランス状態のようになった彼は、現実とは思えない不気味な光景をイメージした。ゲリラ・メトロポリターナはその光景を忘れないよう、取り憑かれたように走り書きを始めた。目撃したものの多くは、カメラがまるで「外にある目」のように自在に動き回り、人間の禁じられた光景を目撃していく抽象的な場面だったという。『DARIUSS』は当初15分程度の短編になるはずだったが、場面を書き足していくうちに長編映画へと発展していった。

この作品は、架空の人物や舞台設定を通して具現化された、彼自身の内なる悪魔を全面的に表現した作品だという。そして、それは彼の中の悪魔が現実世界で周りの人たちを傷つけないためのブレーキの役割を果たしている。

「自分の中の悪魔を打ち負かせないのなら、せめてそれを芸術として表現してみるのも一つの手だと思います」

彼の映画は幼い頃から育まれてきた芸術的言語そのものだ。過酷な抑圧と精神的な困難を経て、彼はようやく内なる悪魔を映画という表現を通して外へと解き放ったのだ。

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