「政治家にだけはなるな」野球ライター・田澤健一郎が監督に! 妻が背中を押した“意外な条件”【死ぬまでにやっておくべきこと】

『鶴岡ポニー』代表兼監督の田澤健一郎

村瀬秀信氏による人気連載「死ぬ前にやっておくべきこと」。『鶴岡ポニー』代表兼監督の田澤健一郎をインタビュー(中編)。野球に対する熱い思いをたっぷり語っていただいた。

引っ越しのバイトから念願の野球の仕事へ

松坂大輔が甲子園を沸かせた1998年の夏。考古学で食っていくはずだった田澤健一郎は、野球を選んでしまった。

自分が楽しめることを一生の仕事にしたい。土の中に眠る歴史より、目の前で生まれる野球の歴史に心を奪われてしまった。

「本も雑誌も好きだったから、野球の本を作ろうと決意したんです。父親に『30まではやり直しがきく』ってずっと言われてたんで、30歳までにフリーライターになろうと。まず本の作り方を覚えなきゃと思って、ツテを探したら友達のお姉さんが『ダ・ヴィンチ』の編集部にいた」

会いに行くと、ちょうど編集部が引っ越すという。男手が欲しい。行きます。補欠で身につけた働き者の性分は、編集部にも重宝された。

「引っ越しのバイトから始め、バイトリーダーになった。編集部では『お母さん』って呼ばれてたんです。そのうち『総務が君を欲しいそうだ』って。ありがたいお話だけど、編集にはなれないと言われ、辞退しました」

それでも諦めず、求人に応募し続けると、野球とは関係ない小さな出版社に採用された。そこで本作りを学び、26歳ごろに独立。念願の野球の仕事が始まる。

「いつか野球の本を作りたいって、ずっと周りに言っていた。だから辞めたら『こういう野球の企画がある』って声をかけてもらえた。運が良かったんです」

そこから高校野球の現場を歩き続けた。強豪校だけでなく、あと一歩で甲子園を逃し続ける学校にも足を運ぶ。かつて補欠だった男が、勝った者の陰にいる人々の歴史を拾っていった。

気がつけば20年が経っていた。2023年8月刊行の『104度目の正直』(KADOKAWA)は、その集大成となる一冊だった。東北勢の甲子園初優勝に至る道のりを追い、全国各地で約100人に話を聞いた。採算を度外視して取材したが、掛けた手間の分だけ売れるのなら、この商売でもう少し楽に暮らせている。

「自分の集大成みたいな仕事だったんです。原稿もだいぶ削ったけど、なんとか伝えたいことは伝えられた。ただ、40代後半で仕事もだんだん減ってくる。この先どうするかなって。僕は長男だし、親の面倒も見なければならない。地元の仕事を増やし、山形との二拠点生活を始めました。すると鶴岡で『田澤が帰ってきているらしい』という噂が広がって、『チームを作らないか』って話が来たんです。神様が『お前の次の仕事はこれだ』って言ってるのかなと思っちゃった」

部活動の地域展開の余波で、本気で野球に取り組みたい中学生の受け皿が地元で減っていることは知っていた。それもあり、母校OBを中心とする野球関係者たちの間には、中学生の公式のクラブチームを作りたいという思いがあった。これは地元への恩返しにもなる。

田澤は代表として運営を引き受けた。ただし、監督は別の人に。自分ほど指導者に向かない人間はいないという信念は、この時点では揺るいでいなかった。

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