昭和の失言、令和のセクハラ炎上を乗り越えた田原俊彦“不屈”のエンターテイメント【スター失言史第9回】

失言は“シャレ”のつもりだった…

芸能人や著名人の何気ない一言が、時に世間を揺るがし、築き上げてきたキャリアやイメージを大きく変えてしまうことがある。彼らはどんな代償を払い、いかにしてその窮地を乗り越えたのか。本シリーズでは、世間を騒がせた「失言」と社会的反響、本人たちのその後の歩みまでを振り返る。

「たのきんトリオ」絶頂期のスター

1979年、日本のポップスシーンおよびテレビ界の新星として颯爽と登場したのが田原俊彦だった。ドラマ『3年B組金八先生』に沢村正治役でレギュラー出演したことを皮切りに、ソロ歌手としてヒット曲を連発。その圧倒的なダンスパフォーマンスと華やかなスター性は、若者たちの憧れの的であり、歌番組には欠かせない「絶対的エース」として君臨していた。

1980年代には日本のポップスシーンの中心人物としてその地位を不動のものとし、「たのきんトリオ」の一員としても時代を席巻した。

しかし、そんな時代を象徴するスーパースターもまた、公の場で放ったたった一言でマスメディアとの関係が急速に冷え込み、長年にわたり苦難の道を歩むことになる。

1994年、会見での「ビッグ発言」

最初の大きな転換期となったのは1994年2月。ジャニーズ事務所に所属していた田原は、長女の誕生を報告する記者会見を開いた。周囲の関心が過熱する中で、彼は集まった報道陣を前にこう語ったのだ。

「何事も隠密にやりたかったんだけど、僕ぐらいビッグになっちゃうとそうはいきませんけどもね、よくわかりました、はい」

この「ビッグ発言」は、当時のマスメディアによって「傲慢な態度」と大々的なバッシングの対象とされてしまった。本人は照れ隠しやユーモアのつもりだったが、会見9日後に発表したジャニーズ事務所からの独立とも相まって、言葉のニュアンスが本来の意図とは異なる形で一人歩きしてしまったのである。

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