「便箋4枚に熱い想いをしたためました」坂本冬美が明かす桑田佳祐への直談判と“夢の楽曲”

坂本冬美(C)週刊実話Web

忌野清志郎が開いた新境地と夢をかなえた手紙

――いろいろなミュージシャンとコラボもされていますね。忌野清志郎さん、細野晴臣さんとのユニット・HIS(ヒズ)は衝撃でした。
坂本 デビューして1年目に、レコード会社のロビーで、評論家の先生の前で歌をご披露したんです。そのとき、ロビーの中2階で清志郎さんが取材をなさっていて、私が歌い出したら「何が始まったんだ」と聴いてくださったんです。それから清志郎さんが取材を受けたときに「今気になるアーティストは坂本冬美」と言ってくださって、その後清志郎さん(ザ・タイマーズ)のアルバムにコーラスで参加させていただき、それがご縁となって、HISが生まれる流れができました。

――清志郎さんは冬美さんの歌にロックを感じたのかもしれませんね。
坂本 清志郎さんがキャリアの早い段階で私を演歌じゃないステージに上げてくださったおかげで、『また君』のような曲とも出会えたのかなと思っています。

――清志郎さん、細野さんとは『Oh,My Love~ラジオから愛のうた~』(’05年)で再集結しましたね。そして憧れの桑田佳祐さんからの楽曲提供もありました。
坂本 桑田さんは私が中学時代からの大ファンです。’18年の紅白で桑田さんが白組のトリを取られたときに、生の歌声を聴いてどうしても桑田さんに曲を作っていただきたいと思い手紙を書きました。便箋4枚に、ずっとサザンと桑田さんのファンですという私の熱い想いをしたためたんです。デビュー35年を目前としていましたので、ぜひ桑田さんに曲を作って欲しいと無理を承知でお願いしました。

――冬美さんからの熱烈ラブコールに桑田さんは…。
坂本 手紙を出した3カ月後、桑田さんからスタジオに呼んでいただいたんです。すると、こんなものを書いてみましたと、『ブッタのように私は死んだ』(’20年)ができていたんです。桑田さんのギターで歌唱指導をしていただき、数週間後にレコーディングしました。

――憧れの桑田さんに曲をいただいたお気持ちは?
坂本 夢のようです。今でも信じられないくらいです。でも、想像をはるかに超える、今まで見たことも聞いたこともない世界観の歌を作ってくださったので、1つ殻を破らなければ歌えないぞという気持ちで歌わせていただきました。

――『ブッダのように私は死んだ』は、お二人の熱い想いを感じる名曲です。そして9月9日発売の、40周年記念シングル第2弾『ひらり』は石崎ひゅーいさんの作詞作曲です。
坂本 私のカバーアルバム『想いびと』でひゅーいさんの『花瓶の花』を歌わせていただいて、とても素晴らしい歌詞に感動したのでぜひお願いしたいとオファーさせていただきました。この40年に、プライベートでは家族とのいろいろな別れがあったんです。その中で自分が感じてきたことをひゅーいさんにお話をして、永遠の別れをした人との歌をお願いしました。悲しくなる歌じゃなくて、大切な人がそばで見守っているよという歌なので、聞いてくださった方々が大切な人を思い浮かべて、温かな気持ちになってくださる歌に仕上げてくださいました。