プロレスデビュー50年の天龍源一郎が語る“馬場と猪木”「プロレスのすごさを猪木さんに、レスラーのすごさを馬場さんに教わった」

天龍源一郎(C)週刊実話Web

指を脱臼、スリーパーで失神…壮絶すぎた1・4東京ドーム決戦

――天龍さんはメガネスーパーの新団体SWSを経て、’92年から新日本に参戦。’94年の1・4東京ドームでは猪木さんと対戦しました。
天龍 やっぱり緊張しましたよ。1月4日に猪木さんと闘うということで、暮れの大みそかまで練習してたのを覚えてますよ。俺も恥かけないし、猪木さんにも恥かかせるわけにいかないという思いがあったからね。

――当時、天龍さんはバリバリの43歳。一方の猪木さんは国会議員でセミリタイア状態の50歳でしたが、対戦してみていかがでしたか?
天龍 気が抜けなかったよ。俺は今でも左手の中指が曲がってるけど、これは手四つで組んだとき、猪木さんにガッと折り曲げられて脱臼させられたものだからね。慌てて自分で指を入れ直したのを覚えてるよ。

――観客に分からないような裏技を仕掛けてきたと。
天龍 さらにスリーパーで本当に落とされて、セコンドの長州に叩かれるまで気づかなかったからね。

――あの試合、天龍さんのフォール勝ちでしたけど、ただでは負けないアントニオ猪木、恐るべしですね。
天龍 あんなことやられたんで、新日本から再戦のオファーが来たとき、「二度とやりません」って断ったら、向こうはむちゃくちゃ怒ってたよ。そりゃ怒るよな、勝ち逃げだから(笑)。

――星を返す気はありません、と(笑)。
天龍 それなのに猪木さんは晩年、俺が引退したあと対談トークショーを申し込んだら快く受けてくれたんだよ。器の大きい人だなと思ったよ。あの長州力が、心酔するのも分かる。

――そして天龍さんは、馬場、猪木、両巨頭からフォール勝ちした唯一の日本人レスラーとなりました。
天龍 それが俺の一番の勲章だし、プロレス人生を総括すると、「プロレスのすごさを猪木さんに、プロレスラーのすごさを馬場さんに教わった」感じかな。馬場さんからはプロレスラーとしての存在感や振る舞い、猪木さんからは闘いを通じたプロレスの怖さ、奥深さを教えられたからね。

――天龍さんが引退試合の相手に、当時の現役トップのオカダ・カズチカ選手を指名した理由は?
天龍 引退試合でカッコつけるんじゃなく、スパッと俺の首を斬ってくれという気持ちで指名したんだけど。オカダにはその後、もっと有名になってくれよと思ったね。今、日本のプロレス界に、一般の人が知ってるレスラーが誰もいなくなった。オカダも新日本を辞めてアメリカで稼いでるのかもしれないけど、トップならもっと日本を盛り上げてくれよと思うよ。

――そうですね。天龍さんの今の生きがいは?
天龍 俺の場合、引退後にこうやって好き勝手なことを言うのが一番のストレス解消法。言いたい放題言わせてくれるのはさすが『週刊実話』だよ(笑)。

「週刊実話」9月3日号より

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)

1950年2月2日、福井県勝山市生まれ。中学2年で大相撲・二所ノ関部屋に入門し、最高位は西前頭筆頭。‘76年に全日本プロレスへ転向。80年代後半に「天龍革命」を起こし、ジャンボ鶴田らと激闘を繰り広げた。その後はSWS、WARなどを経て、全日本、新日本プロレスをはじめ数多くの団体で活躍。2010年に自団体「天龍プロジェクト」を設立し、’15年11月にオカダ・カズチカとの一戦を最後に現役引退。