プロレスデビュー50年の天龍源一郎が語る“馬場と猪木”「プロレスのすごさを猪木さんに、レスラーのすごさを馬場さんに教わった」

長州力がぶち壊した“全日本プロレスのリズム”

――昭和の全日本では、馬場さんとジャンボ鶴田さんが「師弟コンビ」と呼ばれてましたけど、実際に馬場さんと話す機会は、鶴田さんより天龍さんのほうが多かったんですよね?
天龍 俺が全日本に入った数年後、サムソン・クツワダとジャンボが、笹川良一さん(政財界の黒幕で右翼の首領と呼ばれた人物)を巻き込んで新団体を作ろうとしていたのがバレて、クツワダはクビ。ジャンボは特別ってことで全日本に残されたけど、馬場さんはカチンときてたんだよ。

――当時は表沙汰にならなかった独立騒動で、師弟関係に亀裂が入っていたと。
天龍 一方で俺は、デビューから数年間は鳴かず飛ばずで燻ってたんだけど、80年代に入ってようやくプロレスが面白くなってきた頃から、馬場さんにいろんなアイデアを話すようになって。馬場さんもだんだん「天龍は全日本のことを考えてくれてるな」っていう感じになっていったんだよ。

――素顔の馬場さんはどんな人ですか?
天龍 馬場さんって、見た目はヌボーっとしてつかみどころがない人に見えるんだけど、何を考えているか分からない怖さがあるんだよね。どんなことがあっても葉巻を吹かしてボケーっとしていたけど、心の中では「なめられてたまるか」っていう思いが、猪木さんの何倍もあったと思うよ。全日本のレスラーに対しても自分に逆らう人間は容赦なく首を切ったりする、静かなる怖さがあった。

――クツワダさんも1発アウトだったわけですもんね。
天龍 ロッキー羽田やグレート小鹿さんもそうだしね。だから(ザ・グレート・)カブキさんをはじめとした当時の全日本のベテランは、情け容赦なく切る性格を知ってるから、誰も馬場さんの悪口を言わなかったんだよ。馬場さんが死んでからいくらでも言うようになったけどね(笑)。

――天龍さん自身がレスラーとして覚醒するきっかけは、’84年末から長州力さんたちジャパンプロレス勢の参戦ですか?
天龍 それまでの全日本というのは、「アン・ドゥ・トロワ」のリズムで組み立てていくのんびりしたプロレスだったんだけど、長州が来てそのリズムをぶち壊したから、「こんなプロレスがあるんだな」と教えてもらった感じですよ。

――長州さんの開始早々からトップギアに入る“ハイスパート・レスリング“というのは、立ち会いから全力でぶつかる相撲出身の天龍さんに合ったんじゃないですか?
天龍 そうなんだけど、今思うと当時の俺はまだプロレスの奥深さを知らないから、ああいうプロレスしかできなかったというのもあるよ。その後、(’87年から)天龍革命を始めてジャンボと何度も闘っていくうちに、相手の技をしっかり受けた上で自分のいいところも出していくという馬場さんの考え方が正解なんだな、という気持ちがだんだんと芽生えてきたね。

――鶴田VS天龍の“鶴龍対決”は、全日本の完成形とも言える名勝負でした。
天龍 それが90年代に三沢(光晴)たちがやった四天王プロレスに続いたというのが、俺の功績だと思ってますよ。

――三沢、川田利明、田上明、小橋建太という90年代の「四天王」は、天龍さんの激しいプロレスの影響を強く受けてますよね。
天龍 だって田上が光るんだよ? ありえない(笑)。

――たしかに田上さんがあそこまで化けるとは思いませんでした(笑)。
天龍 ’90年に俺が全日本を辞めたことで、彼らがトップになって給料も軒並み上がったからね。