【豊臣は戦国一のブラック企業?】秀吉の無茶振りに耐え続けた秀長の"過労死説"…心労の元凶は茶々だった!?

「茶々の淀城を整備せよ!」兄の新たな無茶振り

病の悪化に輪をかけるように、秀長を追い詰める出来事があった。1589年(天正17年)、秀吉は突如として側室・茶々(のちの淀殿)の産所のため、山城の淀城改修を秀長に命じたのだ。

子宝に恵まれなかった秀吉が溺愛した茶々―—。その懐妊を知った秀吉の浮かれぶりは尋常でなく、普請の指揮を取ったのが病に蝕まれつつある秀長だった。

史料には「秀長が茶々を嫌っていた」という直接の証拠はない。だが、後継者問題が複雑化することで豊臣家の足元が揺らぐ事態を、秀長は誰より恐れていたはずだ。

現に秀長の死後、秀吉は「箍(たが)が外れたよう」(後世の評)に暴走。千利休の切腹、秀次事件と、次々と信じがたい粛清が続いた。そのすべてが「秀長生存中は起こらなかった」できごとだというのは、単なる偶然ではあるまい。

秀長なき豊臣家、そして滅亡へ

「秀吉の天才を開花させたのは秀長だった」——そう喝破したのは作家・堺屋太一だ。天下人の裏に回り、すべての無茶振りを笑顔で受け止めた男の消耗は、現代のビジネスパーソンが抱える疲弊と、構造的に何も変わらない。

NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』でも今後、仲野太賀演じる秀長の病が描かれていくはずだが、ドラマを見ながら「これ、うちの職場と同じだ」と感じる視聴者は、きっと少なくないだろう。戦国最大のブラック企業に最後まで尽くした男——それが豊臣秀長だったとも言えるのだ。

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