涙のドラフト事件が生んだ溝…桑田真澄×清原和博「KKコンビ」40年の絶縁物語【有名人 不仲の真相】

プロ入りからの“確執”は現役時代も長く続いた

プロ野球史に残る"因縁の関係"といえば、桑田真澄(58)と清原和博(58)を思い起こす人もいることだろう。PL学園時代は「KKコンビ」として一時代を築き、甲子園に出場5回、優勝2回、準優勝2回――だがその後2人は、栄光と確執が複雑に交錯する人生を歩むこととなった。

1983年にPL学園に入部した2人は、1年生からエースと4番として活躍。当時の寮生活は厳しい上下関係で知られていたが、清原は新入部員だった桑田の印象を「パッと見た時、1番目立っていなかった」と振り返っている。それでも3年間ともに甲子園を目指す唯一無二のチームメイトとして戦い、"KKコンビ"として全国に名を轟かせた。

号泣の"KKドラフト事件"

運命が大きく分かれたのは、1985年の「KKドラフト事件」だ。

「巨人入りを熱望していた清原は、大学進学を表明していた桑田が巨人から単独指名されるという予想外の展開に号泣。阪神・南海・日本ハムなど6球団競合の末、抽選で交渉権を得た西武への入団が決まった。球史に残る大騒動として、今も語り継がれているこの騒動は、2人の間に決定的な亀裂をもたらすことになったのです」(大手スポーツ紙記者)

後年、清原はYouTube番組で「寂しかった。友達なら一言言ってほしかった」と当時の心境を吐露。「真澄は(巨人指名を)知っていたのかね」と、真相を問いたい心情も明かしたほど。また、当時「怒った寮生が桑田をリンチしようとした」との噂も流れたが、これは清原自身が後にテレビ番組で「ウソ」と否定する一幕もあった。

18年ぶりの"伝説の対決"

その後、2人はプロの世界でもライバルとして激突する。1994年の日本シリーズでは、清原が桑田から2試合で3本塁打。名勝負を演じた。また、2008年には引退直後の桑田が清原の打撃投手を務めるなど、交流が途絶えていなかったことが明らかとなりファンを驚かせた。

「さらに、2012年の地上波テレビの大晦日特番では、西武ドームで18年ぶりの"KK対決"が実現。桑田の投球に清原が食らいつく姿が視聴者の感動を呼び、"伝説の対決"とまで評された。対決に向け、清原は数カ月かけて体重を20キロ近く落とすなど本気で準備。桑田も『三振を狙う』と鍛え直して臨んだという。対決後、桑田は『彼が打席に入った時の雰囲気やオーラは現役時代と変わらなかった』と健闘をたたえたほどでした」(全国紙スポーツ担当記者)

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