「現役0人」200勝投手は今や絶滅危惧種か!? 再注目される稲尾と金田の超人的記録【名投手の勲章・前編】

◆「神様、仏様、稲尾様」という呪縛

稲尾は連投につぐ連投の活躍を見せた

ここで名前を挙げたい投手がいる。稲尾和久だ。

昭和30年代のパ・リーグを代表する本格派投手。大下弘・中西太・豊田泰光らとともに西鉄ライオンズの3年連続日本一を成し遂げるなど、「野武士軍団」と呼ばれた西鉄黄金時代の中心選手として活躍した。

連投・多投の中で好成績を挙げたことから「鉄腕」の異名で呼ばれ、特に1958年の日本シリーズではチームが3連敗した後で4連投4連勝して日本一を達成し、「神様、仏様、稲尾様」と賞賛された。

その稲尾が1961年に打ち立てた記録が、今なお球界を震撼させ続けている。1961年、稲尾はシーズン当時のパ・リーグ記録となる78試合登板、404投球回で、ヴィクトル・スタルヒンに並ぶNPBタイとなるシーズン42勝を記録した。ほかに防御率1.69、奪三振353もリーグトップで、投手四冠を達成している。

78試合登板、404投球回で42勝──。現代の感覚からすれば、もはや人間の記録ではない。西鉄の勝利数は81であり、稲尾和久はチームの半数以上をひとりで稼いだことになる。最多勝に加え、最優秀防御率、最高勝率、最多奪三振と投手のタイトルを総なめにした。

まさに“神懸かり”の状態だった。当時は中3日で「休養十分」と見なされていたが、この年の稲尾は中3日以上空けて登板した試合はわずか18試合に過ぎなかった。

逆に3連投4回を含め連投が26試合ある。西鉄の川崎徳次監督は「すまんのう、お前しかおらんのじゃ」と言って、稲尾を来る日も来る日もマウンドに上げた。それでも稲尾は折れなかった。“鉄腕”の名は伊達ではなかったのだ。

◆絶対王者・金田正一400勝の壁

もう一人、世代を問わず必ず名前が挙がる名投手が金田正一だ。

金田正一の通算勝利数は400勝。実働期間は1950年から1969年の20年間で、944試合に登板して298敗という記録を残している。

400勝という数字は、現代の野球でどれほどの意味を持つか。前述したとおり、現代のエースが年間15勝をコンスタントに挙げ続けたとしても、400勝に到達するには27年かかる計算だ。プロ入りが22歳だとすれば、49歳まで毎年最多勝ペースで投げ続けなければならない。文字通り「永遠に破られない記録」である。

金田の凄みは勝利数だけでない。14年連続20勝という継続性、そして昭和の荒波にもまれながら一度もローテーションを崩さなかった鉄人ぶりにある。

【名投手の勲章・後編】へ続く

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