【東京大空襲】10万人が死んでも「被害は僅少」と発表 終戦記念日に問い直す政府がついた嘘

東京大空襲当時の警視庁正面玄関

本日、我が国は81回目の「終戦記念日」を迎えたが、日本がポツダム宣言を受け入れた理由には、広島、長崎への原爆投下に加え、本土への度重なる空爆被害もあったと言われている。

中でも約10万人の命を奪った「東京大空襲」はその最たるものだったが、実はこの恐ろしい無差別攻撃には、日本政府が国民についた罪深きウソが潜んでいたのだ。

関東大震災を研究し風の強い日を狙った米軍のち密な計算

1945(昭和20)年3月10日――日付が変わったばかりの0時8分、約300機のB29爆撃機が東京の上空へ襲来し、33万発にも及ぶ焼夷弾を投下した。

被害に遭ったのは、現在の台東区、墨田区、中央区、江東区。わずか2時間あまりの空襲で、死者は約10万人、負傷者100万人以上、およそ72万7000戸の家屋が罹災したといわれており、広島と長崎の原爆投下を除くと、群を抜いて被害の多い空襲となった。

東京大空襲は、アメリカ軍の緻密な計算に基づいた一大殺戮計画だった。編隊飛行をやめて高度も下げ、防御用の機関銃まで下ろして、その分の焼夷弾を積み込んだ。事前に関東大震災を研究し、木造家屋の多い東京の街で火災を起こしたらどうなるのか、調査したうえでの空襲である。延焼をもくろみ、風の強い日を狙った。

空襲警報が遅れたことも、被害を大きくした原因として挙げられる。編隊飛行でなかったために敵機の捕捉が難しくなり、警報は爆弾投下から8分後にようやく鳴った。飛び起きた人々の多くは、すでに周囲が火の海と化していて、逃げ場を失っていたのだ。

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