天山広吉、引退直前に蝶野正洋と“師弟対談”! 狼群団、蝶天タッグ、そして引退試合への想いまで全部語った

蝶野正洋

蝶野が語る若き天山「リングの外ではかなりトンパチだった」

──天山さんは1995年に凱旋帰国すると、蝶野さん、ヒロ斎藤さんらの「狼群団」に加わりました。

天山 自分にとって海外遠征というのは確かに転機でしたけど、そこからもう一つ頑張れたのは、やっぱり蝶野さんと組ませてもらったから。あのとき、狼群団に入れてもらったおかげで、ここまでやってこられたと思ってます。

蝶野 でも、帰国直後は平成維震軍に誘われたんだよね。なんで断ったの?

天山 平成維震軍は自分が海外に行ってる間にできたユニットで、何も事情を知らなかったんですよ。それが日本に帰ってきたら維震軍の方々が空港まで迎えに来て、そのまま車に乗せられて…。肉体改造して、新たなイメージでやっていこうと思ってましたが、平成維震軍はちょっと違うな、と。それに苦手な先輩もいましたから。

蝶野 あぁ、あの人ね(笑)。

天山 蝶野さんが手を差し伸べてくれたのが大きかったし、結果的に一番いい選択だったと思います。

蝶野 本隊という選択肢もあったんだけど、それはそれで橋本選手やライガーに潰されそうだからね。あそこは目立つヤツがいると、すぐに足の引っ張り合いが始まるから。

天山 狼群団はそういうところがまったくなく、居心地が良かったですね。試合後、蝶野さん、ヒロ斎藤さんに悪かったところを教えていただき、毎日勉強させてもらって。自分は何もできなかったので、頑張っていかなきゃいけない気持ちになりましたし、チームとして盛り上げていくことも学びました。まぁ、それなりにキツいこともありましたけど。

蝶野 そうやって最後に本音を言っちゃうのが天山なんだよな(笑)。

──蝶野さんは当時、レスラーとしての天山さんをどのように見てましたか?

蝶野 天山は海外にいた頃から、リングとお客さんが見えているというか、肌感覚で空気を読んで、自分がどういう動きをすべきか分かってたし、ちゃんとプロレス頭を持っていた。自分も含めて、一歩引いて見られるレスラーだったね。中西とかは、そういう感覚が無かったから(笑)。

天山 それはやっぱり、自分が元々プロレスファンだったからじゃないですかね。同期の中でも、永田さんやニシオくん(中西学の愛称)は、レスリングをずっとやってきたスポーツエリートですから、プロレスに触れてきた時間が違うというか。

蝶野 まぁ、第三世代の中で一番バランスが良かった天山だけど、リングの外ではかなりトンパチだったね。

天山 単なる馬鹿なんですよ(笑)。世間知らずで、右も左も分かんない状態で、言われたことをやるだけでしたから。

蝶野 そんな話はいっぱいあるよね。車の運転時に雨が降ってきて、ワイパーが動かなかったから窓を開けて身体を乗り出し、自分の腕でフロントガラスを拭きながら運転を続けたとか、ちゃんこ鍋を食べてたとき、先輩から「レンゲ取ってきてくれ」と言われて、なぜかレンゲ草を探しにいって、冷蔵庫でそれっぽい野菜を見つけて持っていったとかね。それに、ここじゃ言えないような下ネタもたくさんあるよ。

天山 勘弁してくださいよ(笑)。蝶野さんにはプロレスだけじゃなく、人としての常識も教えてもらいました。それこそ基本的な挨拶から立ち振る舞いまで。その上で遊びもいろいろ教わった感じですね。自分が好きなパチンコを覚えたのも、蝶野さんと武藤(敬司)さんに連れて行ってもらったのがきっかけなんですよ。札幌の興行だったと思うんですけど、2人から小遣い1万円ずつもらってやってみたら大当たりして、それからすっかりハマってしまって…。

蝶野 あの頃は新日本プロレス全体でパチンコが流行ってたんだよ。「大工の源さん」が人気で、坂口(征二)さんや長州(力)さんもやってたんじゃないかな。

天山 それから自分のパチンコ好きが広まって、パチンコ関係のお仕事もいただきましたから。ハマり過ぎてカミさんに怒られたりもしましたけど(笑)。