795試合、15年、そして「1年越し」――益田直也が辿り着いた「最も遠い250セーブ」

250セーブの大記録を達成したロッテ・益田直也投手(Instagramより)

8月4日、ZOZOマリンスタジアム。ロッテの益田直也が9回をわずか8球で締め、プロ野球史上5人目となる通算250セーブを達成した。

だが、この250セーブは単なる節目ではない。名球会入りの資格に辿り着くまでに要したのは、歴代最多となる795試合。しかも本来は、1年前に届いているはずだった記録だった。

5対3とロッテがリードした9回、登場曲とともにマウンドに上がった益田は、いつもと変わらぬ表情をしていた。先頭・渡部聖弥を投ゴロ、外崎修汰を左飛、岸潤一郎を右飛。三者凡退。あっけないほど静かな締めくくりだった。だが、その8球にたどり着くまでの道のりは、まったくあっけなくなどなかった。

■ 「確実視されていた偉業」は、なぜ1年遅れたのか


2025年、益田は残りわずか2セーブというところまで迫っていた。誰もがそのシーズン中の達成を疑っていなかった。

しかし現実は厳しかった。二軍再調整を繰り返し、8月以降は負傷でシーズンを終えることになる。プロ入り以来最少となる22試合の登板にとどまり、セーブはわずか5つ。確実視されていたはずの偉業は、静かに翌年へと持ち越された。

36歳、プロ15年目。積み上げてきたものが一瞬で足踏みする怖さを、誰よりも本人が味わったシーズンだったはずだ。

変化球を生かす「直球のキレ」──手繰り寄せた復活への手応え


なぜ36歳を迎えたベテランが、どん底の足踏みを経て再び9回のマウンドに返り咲くことができたのか。その理由は、オフに取り組んだ「直球の質の再構築」にあった。

生命線であるシンカーの威力を最大限に引き出すためには、打者の意識を前に出させる直球のキレが不可欠だ。昨秋から投球フォームのメカニズムを見直し、トレーニングを一から再設計。単に球速を追い求めるのではなく、手元で伸びる強い球質を取り戻すことに徹底してこだわった。

2026年の平均球速はストレート146.9キロ、シンカー130.1キロ。約17キロの緩急差が、打者のタイミングを狂わせる大きな武器になっている。150キロ超の直球を武器にするクローザーが珍しくない時代にあって、益田はサイドスロー気味のスリークォーターから投じる146キロ台のストレートと130キロ前後のシンカーを組み合わせる独自のリズムで、250セーブを積み上げてきた。

昨季の不振を経てもなお、直球のキレとシンカーのコンビネーションは健在であり、長年にわたって築き上げてきた投球術が今も衰えていないことを物語っている。

節目を迎える直前の5試合は、無失点・1セーブ・2ホールド。打ち込まれる恐怖と向き合いながらも、自らのスタイルを磨き直したことで、益田は1年越しの金字塔へ向けた完璧な準備を整えていた。

795試合で塗り替えた「歴代最遅到達」


セーブ数だけを見れば、益田の250は歴代最少タイの数字にすぎない。だが「何試合を投げてそこに届いたか」という物差しを当てると、まったく違う記録が見えてくる。

歴代1人目の高津臣吾は598試合で286セーブに到達し、2人目の佐々木主浩はわずか439試合で252セーブという最速記録を打ち立てた。3人目の岩瀬仁紀は658試合をかけて通算407セーブに、4人目の平野佳寿は699試合をかけて250セーブに届いている。

そして益田は、795試合。歴代最速だった佐々木主浩と比べると、実に356試合も多い。平野佳寿が2025年に打ち立てたばかりの「最も遅い到達」の記録を、益田はわずか1年余りで塗り替えてしまったことになる。

積み重ねてきたのは支配力ではなく、時間そのものだった。

「頭ではちらついていた」――その一瞬まで


達成の瞬間、益田はグラブをポンと叩き、静かに喜びを噛みしめた。マウンドを降りると捕手の佐藤と抱き合い、本拠地には「益田」コールが響き渡った。

お立ち台に上がった益田は、記録を意識していなかったわけではないと明かしている。「頭ではちらついていた」としながらも、それを抑え込んでいつも通りの投球に徹したのだと振り返った。

そして、1年遅れてしまったことへの思いをにじませながらも、「やっと達成できてよかった」と率直な達成感を口にした。ヒーローインタビュー後の取材では、現在クローザーを務める後輩・横山陸人についても言及し、自身の記録達成だけでなくチーム全体を見据えるベテランらしい一面ものぞかせた。長い足踏みを経てたどり着いた250セーブは、派手なガッツポーズではなく、静かな安堵とともに刻まれた。

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